2024年3月23日土曜日

「今すぐ使える 誰でもつかえる  フラッシュバック対処と予防: アメリカ発 トラウマのプロが教えるフラッシュバックのすべて」

本の紹介です。
アマゾンへのリンクになっています。
ブログを書くのが久しぶりすぎて、画像がうまく貼れません。。


著者の服部さんは、異業種から、心理の道に入り、いまはアメリカと日本で、トラウマケアを中心とした臨床をされている方です。それは知っていたのですが、今回、知人から、本の紹介を得ました。

トラウマケアの本はあれこれ読んできたし、今も読んでいますが、実際に自分の日々を楽にするもの、と出会えると、世界がまた一歩、確かに、変わります。まだ読んでいませんが、これもそんな本のようですね〜

(しかしなぜバナー画像が表示できないのだろう。。▶︎あ、なんか、分かりました。画像表示をする方法が今年からかなりややこしくなったようですね〜。って、、過去の画像も、すべて消えちゃってる!!)





2023年6月23日金曜日

「複雑性PTSD 生き残ることから生き抜くことへ」を読み、明るい展望がさらに開けました。

久しぶりの投稿です。


精神医学の「用語」は、現実の、あるいは概念上の、複雑なあれこれを、特定の視点から大雑把にグループ化してつけた「名称」であり、それを使うことで見えなくなることも多くあるのですが。便利ではあるので、今日も、出来事を簡略化して書くために、用語を使います。


「双極性障害」を代表的な診断名として療養の年月を送ってきたなか、自分の「境界性パーソナリティ障害」性に気づき、そうなった背景として「複雑性PTSD」が強くかかわっていることに気づきました。


これまでの記事にも書きましたが、今年になってからそのあたりに関する気づきが始まり、数ヶ月に渡り連鎖して生じ、内面的には急に、「病気」という名でくくってきた、ひどい生きづらさが、根本的に消えてゆく感触を、春くらいから、確かにしていました。


それにより、他人に対し、これまでより自分を素直に出せたり、執筆や、とある勉強を、長い時間続けられたり、していたのですが、、、


一週間前の木曜日の夕方に、いろいろがあと一日で一段落!となるに至れ、、、しかし翌朝に目覚めると、久しぶりに不調の中にいました。


好調ゆへに頑張りすぎていたんだな〜と思い、今日一日で一段落に到達することを、諦めて眠り、、、そのなかで、不調の中にいる、気分、考え、体の感じ、などを、改めて感じてみたのですが。


長い療養の年月を通して少しずつ得てきたあれこれの、主要なひとつが、自分を受け入れる、ということで、この一年、それがぐんと深化したことで、今の好調、安定、を迎えられたと分かっていたのに、好調だからこそ、あれもできるはず、これもしなくちゃ、と自分を追い立て、でもあれもこれもできない自分を、責めたり嘆いたり、していたことに、気がつきました。


自分で自分に課した、重荷。


気づき、改めて、全てを、・・過去も現在も、現実も心の内のことも、隅々まで受け入れることで、すみやかに安定を得られ、、、、なにか、すごく、、、、それこそ、生まれ育ってきた記憶の中で「初めて」と感じるほどの、穏やかさを得て、、、、眠りました。


金曜、(土曜は友だちが誘ってくれて出掛けたりしたけど)日曜、月、火、水、、、ただただやる気なく、眠く、その気分のままに、昼も夜も眠れ、、このところの頑張りの疲れ、一段落が見えてきてほっとして現れてきた蓄積疲労、などが眠りを必要としているのだろうと思いましたが、それにしても眠れる。人ってこんなに眠れるのだな〜、子どもの頃からずっと負っていた荷を下ろせ、休むことを初めて自分に許せ、長年のうちに溜まっていた疲れが、でているのかな〜、と思いました。


木曜(昨日)になり、遅く起きたうえにソファーで寝落ちを繰り返しつつも、起きていることができ(無理して起きていたのではないですけど)、読みかけの続きを読んだのが、この本です。


「複雑性PTSD 生き残ることから生き抜くことへ」

ピート・ウォーカー(著)、牧野 有可里(訳)、池島 良子(訳)


神田橋條治医師も、わたしが長く通っている診療所の先生も、PTSDの存在を見出した患者に、トラウマ体験の思い出しや、診療室での吐露を、勧めません。そのなかで、とても安全に、療養が進んできたと、自分では思っています。


そんな背景があって、自分は、わりと好き放題に、自分でできる養生に励み、PTSDの迫力が減り、もう生きづらさはかなり卒業した!!・・と自己評価していたのですが、、、


読んで、ふたつのことに、驚きました。


ひとつは、複雑性PTSDの「症状」として、つまりは、幼少期からの繰り返しの逆境体験がもたらした必然的な生き方として、(そう気づきながらも明確には)そう捉えてはいなかった、自分のバランスの悪さのあれこれ、生きづらさのあれこれ(前述の、自分へ重荷を課すことも含めて)が、一般に見られるトラウマ「サバイバー」のありかたとして、そうなってゆく成り立ちから含めて、説明されるものであったこと。なかでも、双極性障害の特徴までもが、説明可能な範囲内にあったこと。


もうひとつは、ひとつめと関わることでもありますが、自分はまだ、生きるのが楽になってゆく長い過程の、入り口にわりと近いところにいて、これからもっともっと、楽になってゆく、ようであること。


たぶん、その過程に入れる、そして初期の山を越えられる、という、なんていうか、、、巡り合わせ的にも、技術的にも、心の力的にも、困難なところは越えたようには思うので、自分を受け入れたことの安心感と合わせて、この先の人生への、大きな楽観を、得ることができました。


(アメリカで活躍している、自らも複雑性PTSDに困り、乗り越え、それを得意分野として治療している、カウンセラーさんが、書いた本で、アメリカでは有名な本のようです。副題の「生き残ることから生き抜くことへ」は、読み終えたわたしの意訳としては、「生き残ることだけで精一杯だった人生から、豊かさを自ら創造し味わい生きる人生へ」という感じです)



2023年4月6日木曜日

畑正憲さんの死去を知り、強く憧れ、影響された自分の人生との、強い絆を思いました。

(このところの記事、分かりづらい文ばかりですみません) 


今朝、遅い朝食を食べたあとの食卓で、スマホを見はじめたかみさんが、「畑正憲・・ムツゴロウさん、亡くなったって」と言いました。年齢も近況もだいだい知っていた私は、「ああ、・・・いつか会いたいと思いながら、会わずに終わっちゃったな・・」と返したのですが、、、


高校生のとき、街に一軒だけあった大きめな書店の狭い通路を本を眺めながらうろうろするのが、好きでした。


それがなぜだったか覚えていないのですが、ある日、たくさん並んでいた畑さんの文庫本のうちの一冊、「ムツゴロウの青春期」の文庫版を買って帰り、読んだことをきっかけに、畑さんの著書にはまり、つぎつぎと著書を買って、読みました。


その影響のままに、獣医学科へ進み、・・・


畑さんが北海道で開設した(というか、生き方そのものである)「動物王国」のようななにかを創ったり、自然の中で動物と触れ合う生活に憧れたり、もしましたが、結局、そうした道への一歩を踏み出すこともできず、、、、えらんだ分野での獣医の仕事への熱もあまり感じないまま、やがて病気(双極性障害)になりました。


病気に落ちる直前に知り合い、初発の時期に、しばしば的確な助言をくれた友だちが、「いま改めて読むと、自分が畑さんや著書の、どこに惹かれたのか、本質が分かるかもしれないよ」と言い、確か、また年月が経って病気が寛解したのち、実家の本棚にあったそれを、後年、再読してみました。(憧れて、でも一歩も近づけずに終わった自分、を直視させられるであろうその本を、病気の最中には、開くことはできませんでした)


そのときも、このあと書くことを、分かりはしたのですが、、、、


訃報を読み、数行にまとめられてしまっている畑さんの生き方を読み、、、自分が今朝、畑さんの訃報に触れた意味、もっと自分中心に世界を見れば、今、畑さんが、私の人生への役目を終えて旅立った意味、、、、をうっすら思いながら、自分が畑さんのどこに、惹かれたのか、改めて思い、出かける用意のため鏡の前に立っているかみさんに、話しました。


「親と子どもたちの関係が、うちと似ているなか、親に見切りをつけ、遠方に転居し、自分の感情を大切にし、自活し、徹底的に好きなことをやり、やりたいことをやりたいようにやり、奥さんを大切にし、家族を大切にし、関わる人を大切にし、たくさんたくさん学び、逃げず、つねに本質を見つめ、世間や常識に囚われず、かといって争いもせず、楽しくのびのびと生きてゆく。そういう姿に、自分がありたい姿、を見たのだろうと思う」


今朝の寝起きに、このところ起きていたたくさんの出来事や気づき、なかでも、昨日の、自分の中心にあった感情への気づき、が、自分のこれからの人生に、どう作用するのか、どう変えるのか、、、を思った時、、、(途中はしょります)自分が自分を中心にして生きていなかったことを、初めて、自分の体感、納得、あるいは客観視、として、自覚しました。


高校生のときに畑さんに惹かれた、その本質は、世間でいう「自分軸で生きる」、だったのだと、いま、体ごと、分かりました。


そして、振り返ると、とあるものを書きたい、という、自分の人生に現れたど真ん中一本のためだけを見れば、憧れた畑さんのように、この十五年、生きてきていると、・・・まだ上梓もできていない、道半ばではあるけれど、でも、前々回の記事のとおり、そこへ至る道はすでに見えている段階まできていることに、大きな喜びと安堵を覚えました。


畑さんの人生とは現実にはまったく交差のない、私の人生での、私の思いでしかありませんが、畑さんの人生が著書を介して私に生きる方向を見せ、後年、具体像としてはまるきり別の形ながら(‥‥あれ? 生き様を書く、という意味で、一緒じゃん!?!? ←見直していて気付く)その生き方へと私は人生を修正し、昨今になり、その生き方、あり方を、もっと中心的というか、より深い方というか、、、の修正も進め、、、なんていうか、、、中心にある姿勢、あり方、憧れた本質のそこ、を生き始められる、歩めだせた、と感じたその朝に、畑さんの訃報に触れたことに、、、


自分にとっては、自分の生きる方向を教え続けてくれた、ガイドだったなと、、、、


お会いするビジョンは叶わなかったけど、作家と読者の、最高の関係であったなと、、、、


自分がいつか、今度は自分が作家という立場として、誰かの人生と、我しれず、よき関わりを持てるビジョンを今度は夢見て、、、、


自分らしいと自分で思え、納得できる、日々を、自分で選んで、歩んでいきたいと、思いました。


(振り返ると、もっと多くの、共通の生き方を、自分はしてきていることが分かります。似たところがもともとあったのでしょうし、強く影響されてもきたのでしょう。自分の一冊目が世に出たときに、それを差し上げることで、お礼としたかったのですが、間に合いませんでした)


2023年4月5日水曜日

病(双極子性障害・双極症)からの卒業

 今朝、前々職の上司が怒りにまかせて(部下の)誰かを殴ろうとしているのを羽交い締めにして止めたり、なぜか「嵐」の二宮さんが(やはり男性アイドルの)誰かに盛大に殴られてすっとんでいったりするなどの、暴力的な夢を立て続けに見て、、、目が覚めました(二宮さんと男性アイドル、は、別の人だったかも)


布団の中の自分の、気分はロー、体感もローで、この一月から連鎖的に生じていた気づきの嵐を、・・そもそも軽躁の力を使って起こし、維持し、乗り越えた、それが終わって、今日からしばらく、鬱の波に沈むのだろうと思いました。


明日からの予定が明後日からに延期になったとはいえ、楽しみにしていた旅はすぐ。なのにロー突入、、、でもまあ、ローはローなりに楽しむか、、、と思いながら、、、目覚めたついでにトイレ立ち、、、ふと、今あるローが、このところ、これまでの人生にあった主要なトラウマの再現のように、今ここのものとしてトラウマ体験を(これまでとまるで違う姿勢で)生き直している、自分にあった体感として、意識が向き、それが、主に育った家庭の中で家族に対して感じ続けていた、体感としても感じられ、不意に、それを表す「言葉」が、でてきました。


その、初めて自分なりの言葉が付いた、言葉と体感のセットに、すごく、納得感がありました。


その体感と言葉は、それを受け入れると、直視すると、自分が、自分を支える存在(のはず)の家族関係が、崩壊することを、自分はどこかで察し、病(双極性障害・双極症)という、守りも攻めもエネルギーの強い、厚いコンクリート壁の長いトンネル、のような手段を使ってきたのだなと思い、それに不意に直面した自分は、このあと大きな感情が湧き出て、泣き崩れて、しばらくは寝て暮らす、、、のかと身構えた(期待もした)のですが、、、、


思いがけず、現れたのは、(これまでの人生になかったような)静かな体感、、、、「地に足が付いた」感覚でした。


ひるがえって、ここまでの人生、自分が、見るとまずいものを見ないため、ハイテンションに走り回っては、疲労に沈み耳目を閉じていたことが、分かった。


その、不思議な、、、興奮が生じないばかりか、始まったばかりの、ローまでもが、消えた体感。


私にとっての、双極性障害(双極症)という名で括られる「症状」あるいは「状態」は、その体感を直視できる自分になるまで、自分を、(自分が思い込んできたままの、生家の)家族関係を、それらのイメージを、守ってきたのだなと、改めて思い、、、、つまりは、双極性障害が、病という手段が、私にはこれで、要らなくなったのだなと、思いました。


このところの「気づき」について、それらが正しい内容、つまり来し方と現状の、正しい把握、であったとしたら、生きている世界が実際に変わってゆくだろうという予想(それはそうなり、正しさが証されました)のように、これが


・・・と書いていたら、遠くに住む家族からラインが入り、上のことについて、短くやりとり。


その温かい言葉に、あっさり、泣き崩れました。


記事を書きながらパソコンから流していた「鬼滅の刃」関連の歌を、スピーカーからイヤホンに変えて、改めて聴きながら(かかっていたのは「竈門炭治郎の歌」)、滂沱に打ち震え。そのまま「紅蓮華」に突入しようとしましたが、、、、尿意に負けて、、、用足しして戻ると、(自分が、今の家族の長年の助力で、みな一緒に、)トンネルを抜けたことへの、自賛と喜びに、ガッツポーズを繰り返しながら、また泣きました。



はー。。。



なにを書きかけてたんだっけな。。


まあなんか、そんなです。


あ、思い出した。これが、浮かんでいるイメージ通り、長いトンネルの先に、会場までの夜道のアプローチが一年続いた、花火大会の、三ヶ月続いた盛大な打ち上げの、最後のひと花だったとしたら、今日を境に、現実と内実のギャップをやりくりするために飲んできた向精神薬も、要らなくなるだろうなと、思います。まあ、なにか新しいことをするときは、薬を変えない、が(通っているクリニックの先生の)セオリーなので、旅の間は飲み続けるかもしれませんが。


昨日書いたばかりの、原稿キリまできたよ! のあと、こんな、どこか似た内容の記事を、書くことになるとは思いませんでした。


そして最後に残ったのは、今日もまた、支えてくれた人たちへの、深い感謝です。


生きていて良かった。


自分もそうなりかけたように、本質の似た旅路の途中で命を断った、たくさんの人の、無念に、改めて思いが馳せられ、今生きてトンネルを歩いている人たちへの、いろいろな支えの一つになる本を、提供できるよう、これからも、楽しみつつも頑張って、原稿を書いてゆこうと、思いました。


2023年4月3日月曜日

双極性障害(双極症)の再発で精神科病院の閉鎖病棟へ入院した体験をモチーフとした・・・

長いタイトル。。

投稿できなかった日数も長い。。


そしてそして。

なんだかもう、「なんだこりゃ!」的な、めくるめく激動の日々の中、原稿関連の作業だけは静かに集中してやれていまして。


そしてそして!


一昨日の夕方に、全編の改変作業が、とりあえずの段階までですが、終わりました!


やっとここまで来たか〜、という感慨は、こんどの週末がらみで出かける家族旅の前に区切りまできた、、、、という意味のでの思いだったのですが、、、、


なんだか思いがけずジーンときて、、、ああ、「書くんだ!」と思い立ってから、15年、、、その途中に、執筆を挫折し、死のうとした「谷」を挟み、、、でも結局そこから、新たな作品を書き始め、、、やっと、1作目の完成が、あとは枝葉を整えるまでの段階まで来たのかと、、、思ったら、、、、涙やら叫びやらガッツポーズやら震えやら、、、、生き抜いたことへの喜びやら、、、、苦しかったこと、頑張り続けたこと、など自分へのねぎらいと称え、、、そして、おかげでここまで来られた、支えてくれたたくさんの人たちへの、感謝やらで、、、、


脳内再生される宇多田ヒカルさんの曲をパソコンで選んでは流し、すぐに報告したい友だちたちにメッセージを送ったりもらったり、、、もしながら、、、興奮の滂沱が止まって時間を確かめると、泣き始めから30分あまりも経っていました。


これまでの記事で少し触れましたが、1月から2月にかけて、大きな気づきの連鎖がありました。気づいたことでの大波も過ぎ、気づきが本物であるなら、現実が、変わったり、新しいなにかが起きたり、するだろうなとは、思っていましたが、、


そしてその通りとなったのですが、予想を超える、、、というか、「あまり大きなできごとはしんどいのでなしにして、小さいものからゆっくり穏やかに、進めてください〜」と(名のない)「かみさま」にお願いしていたのに、それでもこれか! と思える大きな出来事が、あれこれ起きて、、、


簡単にいうと、私の人生を大きく歪めるに至った源である、たくさんのトラウマ体験の、ど真ん中を、やり直すようなあれこれと対峙していたのですが、、


その全て、ざわつく対象たる人(との関係)や出来事が、原稿の進捗、完成、世に出すこと、に比べたら、どーでもいいこと!と、改めて思えました。



ほっとし、疲れが出て、昨日は終日、ほとんど眠っていました。

今日から数日の休養と用意を経て、家族旅へ。

手放しで、楽しみです。



15年前の執筆開始から、たくさんの人に、支えられて、ここまで来ました。


このブログを読んでくださっている方々の存在も(挫折したときに閉鎖したブログ『あ、ひらおよぎ』の、このブログよりずっと多かった読者の方々の存在も)、書くこと、読んでもらうこと、を目指している自分には、大きな支えになっています。


しかし、、、泣いた(笑)

あんなに喚いて泣き続けたのは、、、、いや、悲しい涙としては、この病気になってからの年月、繰り返し、あったなぁ〜。。


嬉しくて嬉しくて泣いたのは、いつ以来だったのだろう。



まとまりませんが、ここに至れましたこと、感謝を込めて、報告を。


旅から帰ったら、まだたくさんある落穂を拾い、出版への進め方、進む道、を検討し、書店で、自宅で、多くの人に手にとってもらえる日を目指して、また頑張りたいと思います。


感謝。


2023年2月28日火曜日

バルプロ酸の減量・・・双極性障害の薬のやめ方の個人例です

 

三つ前の記事で触れた「気づき」を経ての予後として、予想していたとおり、心身の調子に向精神薬(精神科の薬)を必要とする感じが薄れてきました。


炭酸リチウムとラモトリギンを飲んでいたのを、神田橋医師のセカンドオピニオンにより、バルプロ酸単剤へと変えたのが、、、4年前かな? 変えた直後は、通院先だった病院の主治医の考えで800mgを飲んでいましたが、神田橋医師の電話診療を受けつつ、量を減らし、、、、2年前に主治医に「400mg以上飲まないなら他院へ行ってくれ」と追い出されました。


その後は、長年にわたり断続的に通ってきたクリニックの医師に改めてお世話になっており、この一年ほどは、100mgのSR錠を、夜に1錠を基本として、気分の変動の兆しやフラッシュバックがあったときに、割錠した破片を一粒、頓服してきました。


SR錠というのは、スローリリース錠=徐放剤。飲んでからすぐに血中濃度が急上昇し、あっという間に下がる、ということのないよう、簡単に言うと製剤の工夫により吸収されづらくした薬です。定量を飲み続けるには使い勝手が良いけれど、糖衣なのか、硬くて割りづらいし、割ると吸収スピードが変わるうえに胃にくるため、量を微調整するには、勝手が悪い。。


薬の成分がもっとも少ない「100mg錠」でも、自分には多すぎていると感じるようになったけれど、0mg(飲まない)にすると、、、どうも、なんか、ずっと履いていた靴下を急に脱いだかのような、、、寄る辺なさがあり(靴下でなくとも、帽子とか、手袋とか、マスクとか、、)、どうやって減らそうかなと考えていたら、医師から、粉薬の提案を受けました。


薬局で分包した、白い粉50mg(薬の成分として)ずつが入った透明な薬袋。


袋の上から粉を摘んで、体に起きる変化を感じて、ちょうどいい量を割り出して、服薬しています。


実績としては、夕飯後に1/2〜1/3包み、つまり、、薬の成分としては25〜17mg /dayくらいで、バランスしています。飲むことで不安感は減るが、眠気は強くない。ちょっと揺れていると感じたときに頓服するのも、量の調整が簡単で、便利です。


15年ほど前に炭酸リチウムをやめたときも、終盤は、最少量の錠剤1錠でも多すぎて、包丁で割ったときに生じる、ゴマ粒かケシ粒くらいになった破片を、指で触って体感の変化を指標に選び、飲んでいました。たったそれだけの量でも、飲まないのとは大違い。体調に見合うだけの薬効がきちんとありました。


今回、この先どうするかという「予定」はなく、でも、「予想」としては、より少ない量でバランスするようになって、常時服薬はしなくなるのだろうと思います。前のときは「飲まなくなる=治った」というイメージだったので、はやく「飲まなくなる」を迎えたくて焦れましたが、今回は、楽でいることこそが大切と思うので、飲まなくなりたいという思いもあまりなく、、、もしやめても、心身を休ませたいときは、頓服でも常用再開でも、気軽に飲みたいなと思います。


そうそう、今回改めて減量に向かおうとした理由のひとつは、眠気が強くでていることでした。


昨年の今ころからそれまでになく長く眠るようになりました。その理由は、脳内の言葉が変わり、脳がリラックスできる時間が増え、脳が蓄積していた疲労を癒している、、ということと、納得していたのですが、このところ、眠気の「成分の比率」みたいなものが変わってきて、脳の休養の部分が減り、薬の作用の部分が増えたように、感じていたためです。


薬を減らして一週間になりますが、起きている間に感じる眠さや重さ軽くなり、また内訳も、薬の作用としてのそれの感じが減り、健やかなそれらの感じが顕れてきているようです。


もうひとつ。「気づき」がなぜ、薬の量の変化につながるか。

それはまた別の機会に、考えをまとめてみたいと思います。


2023年2月21日火曜日

神田橋條治医師の新刊「精神援助技術の基礎訓練」、お勧めです!

 

神田橋條治医師の新刊が出ました。


「精神援助技術の基礎訓練」岩崎学術出版社)


通院先のクリニックの神田橋医師に長く師事している)先生が、面談で話題に出したのですが、これまでのたくさんの良著よりなお、分かりやすく、面白いようです。


そうなんですよね〜。ネットに上げられている「目次」やら本文の一部やらを見ているだけでも、それは感じていました。今週末を過ぎると落ち着いて読めそうなので、それに合わせて購入しようと思っていました。先生に先を越された〜☺️


なかでも、患者であるわたしが読んで参考になり効果も得られるであろう二箇所を、先生が教えてくれました。


ひとつは、「症状」とひと括りにされている不都合な状態の成り立ちを、遺伝子の影響、胎児期の影響、、、などと分けして(用語は違ったと思うけど)、説明している図。


そしてもう一つは、「筆の気功」という、誰もがどこでも簡単にできながら効果を実感できる、神田橋医師考案であろう、トラウマケアの養生法です。先生いわく、「五本指いい子」より簡単で、どこででもできて、効果の実感もシャープとのこと。


図は、自分が少し前に知り、自分の課題の大きなブレークスルーに繋がった、捉え方であり、この観点からの説明を、たくさん読んできた精神医療関連の成書で見ないことと、それがあれば、精神的な不調にある人たちが自分の姿や自分がいる位置を、見えるようになるのではと、思っていた内容と、ひと目で分かりました。


養生法は、フラッシュバックの中にいるときに、無自覚にそれをやり続ける自分を、かみさんが繰り返し指摘してきた、手を揉み合わせるような動作に、よく似ていました。


あー、これらもまた、こちらは神田橋医師に、先を越された〜🤣


・・・って、まさにこれぞ「猫の遠なき」ですね😅



夜中や明け方に目覚めて不安な気分の中にいたり、不安な気分に急に浸されることが多く、少し前から、これは夢の中で生じた体験が起こしているフラッシュバックなのではないかと思っていました。同じような状態で目覚めた昨夜、「筆の気功」を思い出し、布団の中でもぞもぞとやってみたところ、これまでにない速やかさで不安はひき、普通に再び寝つくことができました。


通販サイトのレビューによると、神田橋医師は、この本が自身の最後の書き下ろしになる、と書いているようです。


ぜったいに面白くて効果の大きいこの本。

「援助」者の方にも、当事者の方にも、お勧めします。

読んだら改めてレポートしますね〜


(図柄を共有する数種の本が出ています。どれも面白いですが、とりあえず、お間違いなく)


「今すぐ使える 誰でもつかえる  フラッシュバック対処と予防: アメリカ発 トラウマのプロが教えるフラッシュバックのすべて」

本の紹介です。 アマゾンへのリンクになっています。 ブログを書くのが久しぶりすぎて、画像がうまく貼れません。。 「 今すぐ使える 誰でもつかえる  フラッシュバック対処と予防: アメリカ発 トラウマのプロが教えるフラッシュバックのすべて 」(服部信子) 著者の服部さんは、異業種か...