わたしがつけられている診断名。
「双極性障害」(「双極性感情障害」「双極性気分障害」)
名称からでは、なんのことか分からないですよね。
より詳細なはずの👇になると、もっと分からないかな。
「双極2型障害」
まだこちら👇の俗称(?)の方が分かるけど、、、
「躁うつ病」
でも、苦痛や生活の支障により大きく影響している「双極」の中身は、「躁」と「うつ」という「感情」「気分」の波よりも、「気力」の波だと、わたしは感じています。
例えば、同じ「働く」(「散歩する」「料理する」etc.)行為に、日によって「ド幸せ」を感じたり「ド不幸」を感じたりしている、、、わけではない。三歩譲って😄「まあ、そーとも言えるよね」と受け入れてみても、「感情」や「気分」の「双極性」が、「病気」や「障害」とまで称される「生活や人生の苦痛」を作る主因とは感じない。
そうではなくて、同じ「働く」(「散歩する」「料理する」etc.)行為を、スムースにやれる気力がある日と、気力がまるっっっで無い日が、自分の思いとや必要性とは関係なくやってくることに、支障がある。
と、わたしは思います。
(権威がつけた名をそのまま受け取りたく無い、という、おそらくこの病気になる人に一般的な心性も、背景にあります。そしてオリジナルでいたい、創造したい、という心性も)
てことで自分の体験により合っている名称としては、、、
「気力失調症」
です🙆
「精神分裂病」の名称が「統合失調症」に変わったのは、(世間の風潮にならって差別を助長しそうな刺激の強い言葉をオブラートに包んだ、・・・のではなく(その要因もあるような気がしますが)、病態についての認識が深化し、当事者の体験や体感、病の本質に、より合った名前に改められた、ということのようです。そしてその、体験や体感により「ぴったりな名称」になったこと、それ自体が、近年の、「統合失調症」の軽症化傾向、治癒可能化傾向の、流れに竿を差した面もあるのだろうなと、想像しています。(それは、「フォーカシング」という自分でやれる心理的技法を用いて、思いや体感にぴったりの言い表しを得ることで症状が消失する、を繰り返してきた体験からの敷衍です)
そしてついでに、その「失調」を扱う専門の診療科の名称ですが・・・
「精神科」の「精神」も、意味が分からず。。
(「双極性障害」は「精神科」の領域でしょうが、「心療内科」も、一見さんお断りというか、一聞では分からず、の名称ですよね)
例えば「胃腸科」というのは分かりやすいですよね。胃が痛かったり下痢が治らなかったり便秘が続いたりする状態のとき、それらの主たる舞台としての臓器である「胃」や「腸」を、相手にするとうたっている看板なんだろうな〜、と。
統合失調症やうつ病、躁うつ病、というものは、主として「脳」という臓器の、形態やら生理やらの(その多くは解明されていない)異常が、感じたり考えたり予測したりするという「機能」に、映し出されている状態です。
とするなら、「臓器」をハンドルにした「胃腸科」にならった名称とするなら「脳科」。それだと「脳外科」と区別を要するから「脳内科」・・・脳の多彩な機能のなかで、主に「感情」や「思考」に不具合が生じた客を相手にするから・・・
なんだろ😅
面倒になってきました😓
神田橋條治医師は、臨床で用いる診断名は、患者の生活や人生がより良いものへと変わるために役立つものであるべきと、医療従事者を対象とする話の中、繰り返しおっしゃっています。治療の方針とセットになった、つけることで患者に益のある名称であるべき、と。
ほんと、そうであって欲しいと思いますね。
そのセンで行くなら、診療室で患者が医師を「先生」と呼ぶしかないのも再考の余地があると思う。
お、その前に、「患者」もやめてもらいたいかも。
「患った者」と他者に規定された(小さな)役を生きるのは、、、脳の過労が気力の失調として現れるわたしのようなタイプの人を、元気にさせない気がします。
(まとまりません。。)