2021年5月21日金曜日

映画「君の膵臓を食べたい」。面白かったです。

 

数年前、原作を読んだ知り合いが感想をブログに書いたなか、「ラストは涙が止まらなかった」とあったのを、印象深く覚えていました。


せっかくなのでわたしも原作を読みたいと思いつつ、別の知り合いが「映画館で見て感動した」と語っていた覚えもあり。


原作と映画。両方という手もありますが、わたしの場合、片方を味わうと、別の方は興味がなくなっちゃうことが多いのですよね〜。


迷いましたが映画。アニメ版もあるようでしたが実写版にしました。


面白かったです〜


これはちょっとどーなの? という感想かもですが、最も面白く感じたのは、改めてながら、タイトル。


これが別の、ハテナ感の薄いタイトルだったら、原作の売り上げとか映画の興行収入とかのみならず、作品から受ける印象自体も、薄いものになってたんじゃないかな〜


インパクトがあればいい、というものではないでしょう。

作品全体を使って表現しようとした主題を、インパクトのある短い言葉で浮き彫り(本作では「透かし彫り」ですかね)にする。


コピーライティングの妙味だと感じました。


(上は実写版映画、下は原作の文庫版です)




2021年5月10日月曜日

夢枕獏さんの「白鯨 MOBY-DICK」を一気読みし、佐伯泰英さんの「新酒番船」を思いだす


夢枕獏さんの著書を、読んでみたいと思っていました。


「白鯨 MOBY-DICK」


内容の知識なく読み出しましたが、

有名な、そして読んだことのない、アメリカ文学の「白鯨」と、

有名な、そして読んだことのない、ジョン万次郎の冒険譚を、

融合させた物語でした。


実在の人である万次郎は、漁の途中で船が難破し、無人島で生き延びていたところを、通りかかった捕鯨船に助けられ、ハワイを経てアメリカ本土に渡り、幕末には日米の交渉の場に通訳として帯同され・・・てな数奇な運命を辿ったらしいのですが、助けられて乗り込んだ捕鯨船が、小説「白鯨」の舞台である捕鯨船であった、という設定です。


いや〜、面白かったです。


読後に思い出したのが・・・


江戸を舞台にした小説の第一人者だという佐伯泰英さんの著書もずっと読んでみたいと思っていたのですが、なが〜い連続物の新巻ばかりで、初めて読むのに手頃な一冊になかなか出会えず。。半年ほど前かな? やっと読み切りの新作に出会えて読んだのが、


「新酒番船」


でした。


いずれも、江戸期、船の上、仕事もの、仲間、成長譚。

これぞエンタメ! って感じで楽しめました。


夢枕さんにせよ佐伯さんにせよ、読むにつれ、物語の世界を描く背景に持つ知識や体験の豊かさたるやどれほどかと思われ、、、決して追いつくことのないその大きさに、、、諦めを感じます。。


でもまあ、自分も、自分が持っているものを総動員して、書けるものを書くしかないですね。


昨日今日とオフにして、読み耽りました。


感動して、諦めて。

まずは散らかりきっていた書斎の片付けから始めます。


(読後に、夢枕さんの作品は「大江戸火龍改」を読んでいたことを思い出しました)


夢枕獏さんの「白鯨 MOBY-DICK」



佐伯泰英さんの「新酒番船」

2021年5月9日日曜日

「天職」天野篤(心臓血管外科医)・・こういう医師を「先生」と呼びたいです


前の記事の終わりに、医師を無条件に「先生」と呼ぶならわしについての違和感を(未整理のまま)書きましたが、、、


ちょうど読み終えていた本。


天職


著者の「天野篤」さんは、心臓血管外科医です。

色々なメディアで顔や名を見聞きしており、ジャケットの写真でこちらを見る姿に興味を覚えました。



神田橋條治医師の本のなか、十数年前に初めて読み、納得を覚えた話・・


☆★☆★☆

医師のタイプによる、患者に与える影響は、良い順に・・

A:熱意があり、技術もある

B:熱意はないが、技術はある

C:熱意も技術もない

D:熱意があって、技術がない(間違えている)

(↑ 記憶を頼りに書きました。原典は「精神療法面接のコツ」あたりだったかな?)

☆★☆★☆


「C」の医師が最悪な気がしていたので、あれ? って思いました。

でも、熱意がなければ患者からの見切りが早いので、悪い影響は少ない、というのです。


なるほど! と思いました。


わたしも、熱意を感じると、それだけで信用して、あるいはほだされて、あるいはおもんぱかって、傾倒して通い続けてしまうなーと思いました。


思い出しました。「D」のタイプの歯科医師に傾倒し、泥沼に陥った経験がありました。熱意というか、、、言葉がひじょーにうまかった。世間の歯科医師を批判する言葉が、熱くて巧みで、、本人の技術は二流、、いや1.5流くらいだったのかな(笑) そして当時の自分は感じないようにしてしまっていたけれど、その熱意も、「患者の人生」を思う「真心」からでは、まるでありませんでした。


「天職」は、天野篤医師が、目の前の患者のために全力を尽くして治療とその研鑽に当たってきたことが良く分かる内容でした。そしてそれが「言葉だけ」でないことは、書かれていた幾多の(言葉では動かしようのない)実績と、医師として駆け出しの頃の失敗や反省を赤裸々に載せていることからも、知れました。


その上で、若手医師ばかりか地位のある先輩医師に関してまで、患者のためになっていない思いや行いを随所であからさまにし、もっと真に患者のために仕事をしようよと、呼びかけている。


こーいう医師をこそ「先生」と呼びたい。天野篤先生のような人が医師の中にいると思うと、医療に、社会に、人生に、希望のようなものを感じました。そしておそらくは、まれな一人、ではないのだろうと思いました。


ちなみにいま通っている歯科医院の歯科医師も、「先生」と呼びたい医師であり、かつ、「先生」と呼ばなくても(おそらく)へそを曲げない医師です。こーいう先生に出会うと、その分野での心配をしなくて済むようになり、生活が本当に、楽になります。


いろんな分野で、「先生」と呼びたい医師、「先生」と呼びたい人、に出会いたいなと、思いました。




2021年5月1日土曜日

「双極性障害」「躁うつ病」・・名称が実態に合っていないと・・


わたしがつけられている診断名。


双極性障害(「双極性感情障害」「双極性気分障害」)


名称からでは、なんのことか分からないですよね。


より詳細なはずの👇になると、もっと分からないかな。


双極2型障害


まだこちら👇の俗称(?)の方が分かるけど、、、


躁うつ病


でも、苦痛や生活の支障により大きく影響している「双極」の中身は、「躁」と「うつ」という感情」「気分の波よりも、気力の波だと、わたしは感じています。


例えば、同じ「働く」(「散歩する」「料理する」etc.)行為に、日によって「ド幸せ」を感じたり「ド不幸」を感じたりしている、、、わけではない。三歩譲って😄「まあ、そーとも言えるよね」と受け入れてみても、「感情」や「気分」の「双極性」が、「病気」や「障害」とまで称される「生活や人生の苦痛」を作る主因とは感じない


そうではなくて、同じ「働く」(「散歩する」「料理する」etc.)行為を、スムースにやれる気力がある日と、気力がまるっっっで無い日が、自分の思いとや必要性とは関係なくやってくることに、支障がある。


と、わたしは思います。


(権威がつけた名をそのまま受け取りたく無い、という、おそらくこの病気になる人に一般的な心性も、背景にあります。そしてオリジナルでいたい、創造したい、という心性も)


てことで自分の体験により合っている名称としては、、、


気力失調症


です🙆


「精神分裂病」の名称が「統合失調症」に変わったのは、(世間の風潮にならって差別を助長しそうな刺激の強い言葉をオブラートに包んだ、・・・のではなく(その要因もあるような気がしますが)、病態についての認識が深化し、当事者の体験や体感、病の本質に、より合った名前に改められた、ということのようです。そしてその、体験や体感により「ぴったりな名称」になったこと、それ自体が、近年の、「統合失調症」の軽症化傾向、治癒可能化傾向の、流れに竿を差した面もあるのだろうなと、想像しています。(それは、「フォーカシング」という自分でやれる心理的技法を用いて、思いや体感にぴったりの言い表しを得ることで症状が消失する、を繰り返してきた体験からの敷衍です)


そしてついでに、その「失調」を扱う専門の診療科の名称ですが・・・


「精神科」の「精神」も、意味が分からず。。


(「双極性障害」は「精神科」の領域でしょうが、「心療内科」も、一見さんお断りというか、一聞では分からず、の名称ですよね)


例えば「胃腸科」というのは分かりやすいですよね。胃が痛かったり下痢が治らなかったり便秘が続いたりする状態のとき、それらの主たる舞台としての臓器である「胃」や「腸」を、相手にするとうたっている看板なんだろうな〜、と。


統合失調症やうつ病、躁うつ病、というものは、主として「」という臓器の、形態やら生理やらの(その多くは解明されていない)異常が、感じたり考えたり予測したりするという「機能」に、映し出されている状態です。


とするなら、「臓器」をハンドルにした「胃腸科」にならった名称とするなら「脳科」。それだと「脳外科」と区別を要するから「脳内科」・・・脳の多彩な機能のなかで、主に「感情」や「思考」に不具合が生じた客を相手にするから・・・


なんだろ😅


面倒になってきました😓


神田橋條治医師は、臨床で用いる診断名は、患者の生活や人生がより良いものへと変わるために役立つものであるべきと、医療従事者を対象とする話の中、繰り返しおっしゃっています。治療の方針とセットになった、つけることで患者に益のある名称であるべき、と。


ほんと、そうであって欲しいと思いますね。


そのセンで行くなら、診療室で患者が医師を「先生」と呼ぶしかないのも再考の余地があると思う。


お、その前に、「患者」もやめてもらいたいかも。


「患った者」と他者に規定された(小さな)役を生きるのは、、、脳の過労が気力の失調として現れるわたしのようなタイプの人を、元気にさせない気がします。


(まとまりません。。)


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