2022年11月19日土曜日

体を楽しく動かし始めました。「運動脳」(アンデシュ・ハンセン 著)に背中を押されて・・

双極性障害になってからの長い年月。

体調が悪いと、終日まるきり、動けません。。

という日が、延々と続く。。。


筋肉はびっくりするくらい、すみやかに、目に見えて衰えます。発症したのは三十代でしたが、小さな自宅の一階と二階をつなぐだけの、なだらか〜な階段すら、途中で休まないと上り下りできなくなりました。(飲み慣れていなかった向精神薬の影響もあったかもしれません)


これじゃまずいよな、体の病気にもなっちゃうよな、という恐れが、双極性障害の症状などの辛さに上乗せされて。。


少し動けるような心身になると、「運動しなくちゃ! 回復しなくちゃ!」と、散歩やジョギングに励むのですが、、、不調は求めずとも歓迎せずとも忘れずにやってきて、、少し回復しかけていた筋肉も体力も、また衰弱。。。😰


てな年月を経ての今年。


不調、というほど不調ではない、動けば動けなくはない、、のに、、なにか、そういう、「しなくては」ということの一切に、力が涌かなくなりました。


クリニックの医師は、「自然とやる気になる」「自然と体が動く」のではない、そうした、自分の中で義務として、なにか(健康とか、安全とか、衛生とか、収入とか、他者とか、、)の為としてある、今は行動するには「我慢」や「努力」や「思い切り」が要るようなあれこれを、、、できないでいる今の状態を、そのまま、オッケーというか、、わたしがそうなっていることを、楽しんでいる? さらには促している? 雰囲気があり。


これでいいのかな? と半信半疑に思いながら、現実としては散歩にすら出る気にならず、結局はその気分のままに、家から出ない月日を過ごしていました。


そうしたモヤモヤした時期を半年以上も過ごしての、先月半ばあたりからでしょうか。体を動かしたい、スポーツを「やらねば」ではなく「やりたい」の、ウズウズするような懐かしい感じが、体に起きてきました。


・・そーいえば、自分は元々、体を動かすことが、好きだったんだよな〜


てなことを思い出していたころ、タイミングよく目にしたのが、この本、このタイトル。


運動脳アンデシュ・ハンセン(著)、御舩由美子(訳)


なんかよく分からんですよね、このタイトル!


脳が運動するはずないし、、、スポーツ選手に向けて、より練習に打ち込めたり、より上達したり、するための、考え方とかを、教える本かと思ったのですが、、、


開いてみたら、どうも、違うようでした。

ひとことでいうと、「運動は脳にいい」・・??


通読してみたら、、、そのままの内容でした😄


気分にも、意欲にも、持続にも、集中にも、創造にも、睡眠にも、・・・

機能にも、形態にも、予防にも、回復にも、・・・


とにかく運動は脳の全てに良い!

どのくらいやるといい、とかの目安は書きながらも、でも、やらないよりは、たとえ「一歩」だって、歩いたほうがいい! みたいな姿勢が、とっても共感をもてました。


で、著者さんが本の目的として書いた通り、深い納得は、実行するきっかけになる。


脳に、いいのか〜!!!(「双極性障害」も脳の不調ですからね)


さっそく散歩に出てみまして、以降、わりと続いています〜


今日も、午後の遅くない時間に、川沿いの遊歩道を散歩しました。

黄色い葉が山盛りの木に、赤い葉が散っている木。

青い空、白い雲、いろんな色の山々。

楠に群れたヒヨドリの鳴き声が明るくて、空気が乾いていて、風が冷たくて、日差しが暖かくて、中学生がベンチでサンドイッチを食べていて、幼児がママに見守られながら遊具で遊んでいて、、、そうそう、今日は、草地に青鷺(アオサギ)がいて、びっくりしました。珍しい鳥ではないでしょうが、今日歩いた一帯で見たのは初めてで、気分が上がりました。


運動が脳に良く、たとえ一歩でもやらないよりはいい、、とはいえ、、その効果を感じてくるのは、運動を続けて、数ヶ月とか半年とか経ってからとのことでした。


気分を優先しての取り組みなので、そこまで続くかどうかは分かりませんが、とりあえず、歩いた日は、体が温か(特に足の冷えが穏やか!)なうえ、眠りが深い(夜中に起きずに朝まで眠れる!)です〜。そして40分ほどの今日の散歩だけでも、十分、秋を感じて、気晴らしになりました〜



(小さくて見づらいでしょうが、帯に、「本国で『スマホ脳』より読まれた!」とありますね。「スマホ脳」、書店で長く平積みされていて、ネット記事でもしばしば引用されていました。これを知って、、、作者さん、儲けてるな〜、「金持脳」だな〜、、という感想でした)

2022年11月7日月曜日

立冬と皆既月食(蝕)と双極性障害と

今日は立冬で、明日は皆既月蝕だとか。


日没後の少し大きな公園を、先ほど散歩してきました。

立冬、というには風もなく、寒すぎもせず、気持ちのよいブラブラ。

見上げた空には雲間から丸い月の一部が見えていました。


月を見ながらブログの記事を考えるとき、光野桃さんのこの本のタイトルを、思い出します。


あなたは欠けた月ではない


かなり前に読んだ本なので内容をよく覚えているわけではないのですが、要は、満ち欠けするように見えても、実際は常に「満月」である月を比喩として、「欠けた」自分との認識を改めることを、促すものだったように思います。



わたしの双極性障害は、十数年前の秋に兆し、まさにこの立冬あたりから本格化し、冬至あたりに、ストンと、自立できなくなりました。(ストン、と落ちるところが、単極性の「うつ病」のうつの初発と違う、双極性障害のうつの初発の特徴でもあるようです)


そして体調の満ち欠けを繰り返す長い年月の中で、自分を「欠けた」者としてしか、認識できなくなっていったように、思います。


一方で。


このところ(ほんとうに、このところ。ここ数日、と言い換えてもいい)の自分は、本来の自分がこうであったと思えるような、、、自分としての「従前」でも「十全」でもある、満ちた感じを、自分に感じています。(双極性障害にありがちな、ハイ、軽躁、としての「万能感」との違いは、・・・長くなるので割愛します。それはまたいずれ


そうなった自分から振り返ると、病になってからではなく、もっとずっと前から、自分は自分の持つ才能や力の一部しか、あるいは一部ずつしか、力を発揮できていなかったことが、体感として分かります。


そしてその、自分の能力を隠していた部分、発揮の邪魔をしていた部分が、皆既日蝕でいえば、月と太陽との間に入る地球のように、、、、外からの取り込み、異物、であったこともまた、分かるのです。(物理的にそうである、という意味ではなく、イメージとして、物語として、成り立ちとして、です)


異物の主たるものは、わたしの場合、二つ。ひとつは主にによる(一つ前の記事で触れた)複雑性PTSD。もう一つは、から、言葉や態度を介して植え付けられていた、生き方の、自分に合わない指針や規制、でした。


満月だったわたしに、多くは愛情からとはいえ両親のわたしへの常なる言動が悪い方へと働き、長きに渡って、わたしを翳らせた。そして病を得て、皆既蝕となり、、、わたしの場合は二度も皆既蝕となり、、、その療養の中で、父からの影響に気づき、母からの影響に気づき、対処が進み、、、いまやっと、満月に戻った。


そして体感として分かったのです。


あなたは欠けた月ではない


わたしは、わたし自身は、つねに「満月」だったのだなと。


わたしは欠けた月ではない。

欠けた月であったことは、一瞬たりとも、なかった。


先ほどの散歩で、今日は地球ならぬ雲で一部が隠れた月を見ながら、改めて思ったのでした。



(知っただけで療養の効果がありあそうなタイトルですよね〜。すごい)


2022年11月2日水曜日

テレビ番組のお知らせ・・ハートネットTV「虐待の“後遺症”を抱えて(1)「成人後の生きづらさ」」

 

今夜放送予定のテレビ番組です。


2022年11月2日(水) 午後8時00分 〜 午後8時30分

NHK Eテレ ハートネットTV

虐待の“後遺症”を抱えて(1)「成人後の生きづらさ」

番組のサイトはコチラ


内容は、「複雑性PTSD」についてです。


・・これなんですよね〜。


神田橋條治医師の初診で、わたしにそれがあると指摘されたPTSDは、説明にこの用語を使ってはいませんでしたが、これのことでした。


そして当時通っていた精神科病院の主治医が、神田橋医師からの手紙で、それを知らされながらも、わたしの状態が「PTSDの定義にあてはまらない」と、双極性障害として診断されている不調の基盤にそれがあることを認めるのを拒んだのは、従来いわれてきたPTSDです。


本質から考えれば、原因も症状も同質異形、相似、であり、医学用語として定義してしまったことで、あるいは、統計上やビジネス上の線引きのために作った(誰がたどっても同じ結論となるように作られた)定義を、治療上の効果を目的とすべき臨床の中での診断基準として流用したことで、定義から外れた形のそれを持った人たちの苦しみが、理解されずにきたのだろうと思います。ていうか、、理解できない、目の前の患者に起きていることの見えない、専門家を多く生んでしまっているのだろうと思います。


神田橋医師にそれの存在を指摘され、同時に、自分でできる対処方法を教わったこと。


その後、その主治医から見放され、戻った先のクリニックの医師が、その用語は使わずとも、そこを常に意識した、療養の提供を心がけ続けていてくれていたこと。


それらが幸いして、わたしのそれ(複雑性PTSD)と、それが下支えしていた双極性障害とは、(と、分けることすら、この場合は医学用語、医学のパースペクティブ、に染色されていて、すでにおかしいのでしょうけど)寛解に向かったのだろうと、今は思います。


臨床家ではないわたしには、自分が体験したことを敷衍して考えるしか、能がないけれど、、ここが軽減されることで、わたしのような双極性障害に限らず、心身に渡る、長期に渡る、長年の不調が、軽減される人が、この先たくさん出るのではないかと、思っています🐈


難しいかと思ったら、対談の収録であることもあってか、言葉が容易なうえに面白く、一気読みでした。PTSDを持つ人たちへの、愛情や尊敬、というものを、治療者たちから感じ、それだけで癒されました。いまの日本での、複雑性PTSDについて行われている治療のバリエーションと、治療者による見方の違い、について俯瞰を得られました)


(上の本は、この、下の本の発売にあわせての座談会を、収録したものでした。それを知り、こちらも買いましたが、、、自分の症状が軽減したことでやや興味を失い、、、面白そうですが、いまのところ未読です)


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