ブログの記事を更新することなく過ぎてしまいまった三月。。
体調は、上下はあれどもいずれも小さく長引かずで、わりといいなと感じてます。
気象の変化が大きく、巻き込まれるようにグルグルしたりしますけど、まあそれはそれで、、、体が本来の自然性を取り戻したのだと、、、考えられなくもないですしね。
双極性障害の再発で精神科の閉鎖病棟に入院した体験をモチーフとした小説の執筆を、にじりにじりと進めています。
心身の安定に寄与する要因としては、少量を飲んでいるバルプロ酸ナトリウムと並んで大いに有効と感じている執筆。
でもそこも薬と同じで、多過ぎれば体調を崩すのが難しいところです。
神田橋條治先生からは、双極性障害である私の(あるいはもっと狭く、バルプロ酸が効く私の)脳の特徴としては、執筆という行為そのものに充実を感じるのではなく、それを世に発表した反応などとして得られる成果(感想やお金、好評や不評、成功や失敗)に、充実を感じるだろうと言われました。(前者は「芸術家」タイプ、後者は「商売人」タイプ、かな)
言われてみると確かにその通りで、好調になった分として増える、自由に使えるエネルギーを、全て注いでいるかのような執筆ですが、その動機、原動力は、いつか得られるかもしれない成果(読者の感想とか、家族の反応、家計の再興など)を速く得たいから、の面が強いです。
でも、、、焦れば空回りするし、、、成果を得られるとしてもまだずっと先なので、、、今日、書けた、書いた、努力した、そのことを、価値あるものとして認めて、自分にオッケーを出し、誰も知らなくとも今日の執筆によって世に生まれた描写部分こそ「成果」だと考えて、喜びや充実を感じるように、自分を仕向けています。
と言いつつも焦って机に向かっては散歩の時間帯を逃す日々の中。
先日、久しぶりに散歩に出たら、桜がきれいでびっくりしました。
それから機会をみつけては見に出ていますが、、、
桜。。
この病気になる前の自分は、桜に限らず「花はきれい」といわば常識として知っており、そう言葉として述べているだけで、「きれい」と実感したことはありませんでした。
でも、病気で苦しい思いをし、自分を見つめ、人の気持ちの複雑さを知り、命の有限さに気づき、そして(薬の誤った処方によって引き起こされていた部分が強いと後で知った)希死の衝動を生き抜いて、数年ぶりの落ち着きを得て迎えた春に見た、青空を背景に咲き誇る桜の花は、命の輝きに満ちて、それを素直に愛でる(多くは年配の女性の)人たちの人生の深さや悲しさや愛しさをも、初めて分かったように思いました。
・・いやいや、なんだか春は、詩的な自分を演じたくなりますね〜😅
ただでさえ寒さや日照の弱さや気圧の急変に体調を崩しがちな冬を、ましてや病や障害とともに生き抜いて、今年も生きて春を迎えたみなさんが、心身の伸びやかな時間を少しでも長く過ごせますように〜🌸🌸🌸