テレビアニメに続き映画が大ヒットしている「鬼滅の刃」
鬼に襲われ、鬼になってしまった妹を、人に戻す方法を求めて、妹想いの主人公「炭治郎(たんじろう)」が鬼と対決つつ成長してゆくストーリー。
原作であるコミックを数冊読み、テレビアニメを数回分観ましたが、面白いです。
でも、、、
世間で絶賛の声ばかり聞こえる中、引っかかった点が。。
鬼が、単純な悪なる存在としてではなく、かつて人として産まれ育ってきた中で、不本意ながら得た、数々の悲しみや憎しみを今もうちに抱え、鬼となった今は死ぬこともできず、仕方なく鬼として人を襲って生きている、切ない存在として描かれていること、そして他の人々は嫌うだけの鬼の、そんなやるせない背景を察し、対決して殺すも、死際に寄り添い、成仏を願う炭治郎の優しさが、作品の大きな特徴なのですが・・・
死がね。生きとしいけるものが苦しみから解き放たれる入り口として、、、悲しくも美しく、、、描かれている感じなのですよね〜
現実として死の一面はそーかもしれない。でも、かつて自殺企図に追い込まれた自分の心境を省みるに、死にたくなるほどに苦しい人が、その解決を死に求めると言う、多くの自殺企図者に共通するであろう論理の正当性、、を、、肯定していないかな〜。
つまり、自殺したい思いを抱えた人を行動に駆り立てるきっかけ、流れに差す竿、になっているのでは、と思ったのです。
まあでも、芸術って、文学って、そーいう面もあるよね、、、とスルーしようとしたら、かみさんが、「賛美一色の中、そーいう感想こそブログに書きなよ」と言ってくれて。
前の「あ、ひらおよぎ」のような、病の情報・前向きブログをイメージしていたけど、どうもそれだと更新されない(飽きたのかな)ままのココに、こうした感想を載せるのもいいかなと思いました。
だからこの作品はダメだとかケシカランとか言うのではありません。ストーリーも美術も、良くできた、面白い、作品です🎬🎥🎴