2022年12月28日水曜日

今年は・・思いがけない変化が思いがけず続いた年でした。

 あと数日で今年も終わり。


すでに記事で触れた気がしますが、今年は不思議な年でした。


だめーーーな状態が続いていると思っていたのが、どうも、だめではない、これまでにない根底からの変化が起きつつあるのかも知れないと思えてきて、、、こりゃ、なんとなくいーーかも!? と思っていたら、身近なところで色々なことが起こり、現実対応せざるを得なくなって大いに揺れ、、、こりゃあかん、だめだ! っと思ったら、それらが契機となって、内側に大きな展開が生じ、、、


そんな波が続いた末に、もう、今の自分に必要な展開を呼ぶ、今の自分にちょうどよいあれこれが、今の自分にちょうどよいタイミングでやってくるのだろうと、流れに身を任せ、、今日も今日を味わって生きましょ、みたいな心境に、少しなりました。


そうですねぇ。。そう、外側(行動、できるとかできないとか)と内側(考えとか、意識とか、無意識とか、判断基準とか)の変化が、縄目のように、進んだなぁ。行き詰まるごとに、つまり、節目節目において、どんぴしゃ!な助言や情報が入ってきて、突破される、展開する、という感じでした。


そして年の瀬が近づき、今年の変化はもう十分、あとはのんびりしておしまい! 内も外もさらなる変化はまた来年ね! ・・と思っていたら、外も、内も、また一波乱ありました。。


そうそう、これを先に書いたほうが良かったかな。つまるところ、総じて、おそらく、思いがけない、大きな進展のあった、一年だったように、思います。


「思います」というのは、、、まだいまひとつ、自分でそうであると、確信がもてない。でも、かみさんと、クリニックの医師、という、自分のことをずっと見ている身近な二人が、そうである、そうであった、と確信している様子なので、そうなのだろうなと、思っています。


病気になってここまでおよそ二十年。

長かった。。

・・終わってないけど。。

・・現実の立て直しはこれからだし。。


でも、不調は、、、つまり、自分が自分らしく生きられなくなったことで、より自分らしく生きられなくなってゆく、、の負のスパイラルは、生まれて早々から始まっていたのだなと、今になると分かります。


つまり、ここまで、五十うん年。。。ながっ!


そしてそうしたことを説明する、、というと少し違うけど、、なんていうのだろう、、、描写する? 把握する? 繋ぐ? 物語というか、、底流、、本質の流れの視覚化というのか、、そういうものが、、、体験と、学んできた知識とが合わさって、一枚の絵になる、・・みたいなものとして、、、掴めそうな気がきざしています。


そうそう、今年はこれも思いがけないことに、閉鎖病棟の入院をモチーフにした小説が完成しませんでした。来年はこれを完成させ、そしたら次は、長年寝かせたままの、初発の発病と寛解をモチーフにした小説に再着手し、、次はあれ、その次はあっち、、、といくつもあるネタに手をつけ、、、いずれ、あるいはそれらの間に、この、わたしの双極性障害の体験を一枚の絵として(おそらく文字だけど)著わす、というのを、やってみたいなと思います。


おお! 今年最後であろう記事の最後もまた、今年らしく、書き出したときには思っていなかった内容が現れて、終わりますね!


皆さん、今年はどんな年でしたか?


このブログを読んで下さっている方の多くは、わたしと似た病や体調や境遇を生きている人たちかと思います。


わたしも、みなさんも、今年より来年が、できればたくさん、そうでなくても、一日でも、一時間でも、一分でも、一秒でも、安定し、楽しく、軽やかな、体感を多く持てることを、願って祈って、新しい年を迎えたいと思います。


今年も一年間、お付き合い下さりありがとうございました。ぺこ🧸💕


2022年12月21日水曜日

「ハートネットTV あがるアートの旅 “生きるためのアート”を訪ねて」精神科でのアートの効用は言葉にし難いながら大きなものでした

 テレビ番組の紹介です。


Eテレ

ハートネットTV 

「あがるアートの旅 “生きるためのアート”を訪ねて」

(↑番組公式サイトへのリンクになっています)

初回放送は今夜: 2022年12月21日(水) 午後8時00分 〜 8時30分


「精神科病院」の「造形教室」の模様が映されるようですね。


入院した精神科でこれに類するのであろう作業療法プログラムがありました。


初めは、つまんないことやってるな〜、、とか思い、参加しませんでした。


なにがきかっけだったのかはっきりとしたことは忘れましたが、なんとなーく参加するようになり、やがて、毎回楽しみになりました。


退院してから、入院体験をモチーフにした小説を書くにあたり、体験と専門書による学びを合わせて、場面を再構成し、言葉で記述しました。


体験から「効用」のようなものを実感してはいましたが、記述して初めて、技法としての存在意義や、準備し運営してくれていた人たちの思い、自分が実際に得た効果、なども含めての、奥行きの深さとでもいうのか、、、全体像とでもいうのか、、、を、解像度高く、認識しました。


おそらく、、、効果を目指してやる、やらせる、ものではない。

けれど、、、効果が小さいものでもない。


なんだかいわゆる禅問答のようですが、、


番組ではどう描かれるのかなぁ〜

作家・写真家・映画監督の、安藤桃子さんが、どう感じどうコメントされるかとあわせて、楽しみです〜


2022年12月16日金曜日

「幸せになることを、自分に許す」精神科の医師に言われて印象に残った言葉です

 ・・あれ?

・・思い出して文字に起こしましたが、どこか語順がおかしいですかねえ。。


精神科クリニックでの直近の受診で色々な話しをした中で、濃く印象に残った言葉のひとつが、面接が終わりに近づいたタイミングで医師が言ったこれでした。


「幸せになることを、自分に許す。・・ってことでしょうね」


ぽつり、と医師とわたしの間に置いたかのように聞こえたその言葉は、会計を終えてクリニックを出て、夕暮れの道を自宅に向かって車を運転しているときに、不意に、医師の声と、思いがけない落涙を伴って、思い出されました。


思い返すと、いつもながらに長い時間を割いていただいた面接で、あちこちに飛びながら話しをし、応えてももらった、その全ての内容を総括する言葉に思えてはいたその言葉が、同時に、このところ「終わり」の到来を感じている、「双極性障害」を中心とした人生の停滞、より焦点づけるとしても、その治療・養生に専念あるいは執着、、、あるいは頼らざるを得なかった、長い年月の、全過程を締めくくる言葉にも思えました。


・・と、ここまでを書いてから、三週間ほど、続きを書いてアップする気力やタイミングがなく、別の記事を挟みつつ保留していましたが、おかげでその先についても、記事にできます。


この言葉に涙し、その後、リアルがどう変化するかと思っていましたが、、、それは華やかなものではなく、いろいろな物事へのやる気が失せ、長く寝る日々、、、として現れました。


原稿。家事。・・やるべきと感じ、やってきた、、、病になってからも、体調に余裕が生じればその分だけ、、、いや、体調の限界を探りながらつねに目一杯やろうとしてきたこと、やってきたことが、、、できなくなった。


しかし、できずに、起きられずに、毎日昼ごろまで寝込んでいる自分に、これまでのような苦しさや焦りはなく、やや大袈裟にいえば、ただ寛いで、ぼへ〜〜っとしてられる、心身の状態がありました。


これってもしかしたら、ふつーの人たちが、ふつーに毎日、あるいは週末、感じている体感なのでは・・?


自分としては新鮮な体感。省みると、子どもの頃から、こうした時間をあまりもてていなかった。


もっていたのは、大学生になって一人暮らしを始めてから2年間くらい。


馬鹿だったけれど、日々が楽しかった、体調も良かった、時期でした。


神田橋條治医師が、養生のコツの一つとして、生育歴を振り返って、心身の調子が良かった時期にやっていた暮らしを真似る、特徴を取り入れる、ということを書いています。


自分がその頃に調子が良かった、ということは、思い出してはいましたが、その頃の暮らしの気分やリズムを、取り入れることまでは、できていませんでした。そして同じ感じになってみて(寝たいだけ寝て、腹が減ったらてきとーに食べ、読んでいる本が面白くて明日のことを思いつつも熱中して夜更かしする、、など)、ああこれは、当時は実家を離れたことが作用し、今は内なる縛りが解けてきたために、こういう、いわば自由な気分の時間がもてているのだなと、思いました。


焦点の周りをぐるぐる巡っているような記事になりましたが、、、


動けない自分 ⇨  動きたくないから動かない自分

やれない自分 ⇨ やりたくないことをしない自分


を過ごしているうちに、


「幸せになることを、自分に許す」


ということは、こういうことなのだなと、思えてきました。


母の幸せのために気力を奮い立たせて電話をかける、、をしない。

家族の家計の立て直しのため気力を奮い立たせて執筆、、をしない。

隣人が見ての気分を考慮して気力を奮い立たせて草むしり、、をしない。


今の自分は、休みたかったんだな、と。


休んだ先に、原稿にせよ家事にせよ遊びにせよ、なにか「やりたいこと」に向かって動き出す日がくると、、、、その思いが予感としてあったことも、うつ状態との大きな違いでした。休むことに焦りがない。


そして昨日あたりから、少し、行動している時間が現れだしました。


まだ「幸せになることを、自分に許す」の初心者、はじめの一歩を、踏み出せただけと思います。


でも、それだけでもすでにこれほどに大きな、日々の体感の違いを感じられ、日々の流れの違いがあるながら、許し続けた先に、どういった人生になってゆくのかも、楽しみです。


(そしてこのところの思考パターンとして、ふつーの人は、ふつーに、こういう体感の流れを生きて、年齢を重ねていってるのだなと、、、羨ましいというのではもうないけれど、、、なにか、圧倒的な、遠回りを、自分はしたのだなぁと、思います。そしてその年月はそのまま、思いがけず過ごした豊かな年月であったなと、今は思えます)


2022年12月7日水曜日

「ハートネットTV もう一度、外へ 精神科病棟閉鎖までの日々」今夜です。興味深いですね〜。それから関連して、「」

まずはテレビ番組の紹介です。


Eテレ

2022年12月7日(水) 午後8時00分 〜 午後8時30分

ハートネットTV 『もう一度、外へ 精神科病棟閉鎖までの日々』

(↑番組公式サイトへのリンクです。 再放送もあると思います)


「慢性期病棟」を「閉鎖」する「精神科病院」を追ったドキュメントのようです。


わたしが入院していた病院にもそれに該当する病棟があり、長年をここで暮らしていて、これからもずっとここで暮らしてゆくのかな、と想像される(あくまで想像ですが)患者たちもたくさん目にしました。


入院前、わたしは、精神科病棟に対しての知識は少なく、双極性障害の初発のときに初めてかかった精神科医が言った一言をきっかけにして、ものすごくネガティブなイメージをもっていました。


それが、実際に入院し、療養が進むにつれて、患者も職員も施設や設備も、治療や看護も、自分に心地よい、自分に馴染むものに、なってゆきました。病院全体が落ち着いて清潔で良い雰囲気でしたが、とくに自分が長く居た病棟については、そう感じました。


なので、精神科病院の入院に対してのイメージを良くして退院したのですが、、、入院体験をモチーフとした小説の執筆のために、色々なチャンネルで学ぶにつれて、良質と感じた受療環境は、わたしが入院した病院の、わたしが長く居た病棟の、わたしがいた三ヶ月ほどの期間、に限っての体験から、わたしがそう感じた、というだけの、一般化できないものと知りました。


そしてもう一つ。単位人口あたりの精神科病床の数の多さや、入院患者の多さ、それから入院期間の長さ、どれもが、日本は世界の中で群を抜いている、それが批判的に話題にされている、ということも、知りました。


さらに学んでゆくうちに、同じ国内なのに、精神科病院の質に、大きなばらつきがあることや、その社会的な、あるいは組織としての、背景があること、また、病床を少なくした国々のなかにも、少なくしてうまくいっている国と、少なくしたことで問題が深くなってもいるらしい国が、あることも知りました。


番組では長く入院していた病院を出て、社会に帰ることに、喜びばかりではない、大きな不安を、抱える患者たちの心境も、追うようですが、、、、これ、、、、自分の退院時もそうだったし、、、引きこもり状態から外に出るとき、、、ただ外に出られて、買い物できる、レベルを越えて、誤解や衝突や主張や妥協も避けられない、子育てや地域活動や仕事のシーンに戻るとき、、、ひと事ではない、心境ですよね。


話は脱線しますが、NHKはその姿勢や存在意義が社会的に広く問われており、数年前にはそうした世論と逆行するようにこれぞ公共放送と思えるEテレの福祉系の番組が、いわゆるリストラ対象となったとの記事も目にしました。その記事で言っていたことが本当だとすれば、そうした逆風の職場環境の中で、こうして、民放ではあまり類を見ない、地味ながらとても大切と思える、精神疾患や精神医療について、良質な番組を制作して提供し続けていることを、ありがたく思います。


☆★☆★☆★☆

思い出しましたのでこちらも。

書籍もテレビ番組も、いぜん記事にしたつもりが見つからず。(←なんかこのごろ多い。。)


「都立松沢病院の挑戦: 人生100年時代の精神医療」(齋藤正彦)


Eテレの番組「ETV特集 ドキュメント 精神科病院×新型コロナ」を見て興味をもった、当時都立松沢病院の院長だった精神科医、の著書です。日本の精神科医療の歴史的な流れや今の実像が、コンパクトながら広く学べました。齋藤正彦医師の実績や意見の公正さみたいなものを判断する見識はわたしにはありませんが、数字や描写で活写された松沢病院の変化に触れると、すごい!!と、嬉しくなりました。


患者や社会のことを真剣に思って日々働いている医療者が、精神科領域にはおそらく少なからず居るのだなと再確認できただけでも、とても勇気づけられる本でした。



2022年12月5日月曜日

Eテレ「100分de名著 125『中井久夫スペシャル』」今夜スタートです!

テレビ番組の紹介です。

 さきほど見つけました。

「第一回」は、このあとすぐです。

全四回、再放送もあります。

(「第二回」以降はテーマだけを記します)


Eテレ

100分de名著

「中井久夫スペシャル」(←公式サイトへリンク)


第一回『「心の生ぶ毛」を守り育てる ~「最終講義」~』

2022年12月  5日(月)午後10時25分~10時50分

   12月  6日(火)午前  5時30分 ~ 5時55分

   12月12日(月)午後  1時  5分 ~ 1時30分

第二回『「病」は能力である ~「分裂病と人類」~』

第三回『多層的な文化が「病」を包む ~「治療文化論」~』

第四回『精神科医が読み解く「昭和」と「戦争」 ~「『昭和』を送る」「戦争と平和 ある考察」~』


いま番組の公式サイト内の紹介文を読み、中井先生がこの八月に逝去されていたことを知りました。


そっか。。。いつかお会いしたかったし、自分が書いている(精神科病院への入院体験を題材にした)小説を読んでいただきたかったですが、いずれも叶いませんでした。


たまたま、今日も夕方に、中井先生の著書を読んでいました。


患者に寄り添う徹底した姿勢が言葉の隅々から伝わってくる、中井先生の本たち。


神田橋條治医師が、出会った関係は(現実としては離れても内なる関係として)生涯つづく、というようなことをおっしゃっています。


文字を介しての出会いながら、わたしの中では、中井先生とは、次第に関係を濃くしながら、この先も関わりつづけてゆくのだろうなと、思います。


番組の「指南役」は、精神科医の斎藤環さんですね〜

このところ「オープンダイアログ」の推奨者としてその名を見ることの多い斎藤環医師。

伊集院光さんらを一応の相手として、斎藤環医師がどんな中井論(中井論論?)を展開するのか。

そっちも楽しみです〜


(執筆の参考とするためにいま読んでいる本はこれです。言葉も論理も分かりやすいですが、すごく深いことが緻密に書かれており、さらっと読み進めることはできません)



(やはり執筆の参考とするために読んだ本。中井医師の、患者に徹底して寄り添う姿勢は、「医療」や「治療」より「看護」という言葉に、馴染むように思いました)


2022年12月4日日曜日

「睡眠専門医がまじめに考える睡眠薬の本」(河合真(著)、立花直子(編集協力))面白かったです〜、役立ちました〜


いま自分がいる大きな変化について書こうと思っていたのですが、読み終えた本が面白かったので、先にこちらを。


「睡眠専門医がまじめに考える睡眠薬の本」(河合真(著)、立花直子(編集協力))


わたしは睡眠にまつわる悩みは深くなく、「睡眠薬」と分類される薬ほぼ飲んだことがないので、自分ごととは思わなかったのですが、本が薄かったこともあって開いてみたらとても面白くて。三夜連続で集中して読み、読了しました。


「睡眠薬」


双極性障害になった当初から睡眠障害はありましたが、他の悩みが深すぎたというのか、とりたててそれを症状として捉えることも、治療のターゲットにしたいと願い出ることも、思いつきませんでした。


その後、悪化の一途を辿り、転院し、休職し、症状が安定してきた頃に、睡眠リズムが崩れてしまい、辛く、それなりに深刻に悩み、医師に相談したところ、、


「眠れなかったら起きて好きなことをやっていればいいです。リズムはそのうち勝手に戻りますよ」


あまりに気楽な指導(?)に、なんだか気が抜けて、その夜から、布団に入ったけど眠れないのですぐ諦め、起きて深夜ドラマ見る、とかの暮らしを始めたら、、その時間がけっこう楽しく、、あっけなく、普通のリズムに戻りました。


もういちど悩んだのは、後年、再発して、入院したおり、やはり症状が安定してきたころのこと。


夜勤の看護師さんに訴えたところ、宿直の(誰だか知らない)医師はすぐに睡眠薬を処方してくれたのですが、、、大いに期待して飲んだのに、余計に眠れなくなりました。


翌日、主治医に泣きついたら、


「ずっと眠れないってことはないですから、大丈夫」


てな思いがけない対応で、やはり睡眠薬は出してもらえず。。

その代わり、入院生活の工夫を、数点、提案されました。


例えば、

「病棟の消灯時刻は大人には早すぎるので、過ぎても読書したりしていていい」

「昼間眠くなっても眠らずに。眠くなったらデイエリアに出て患者仲間と交流する」


不信のままに引き下がったのですが、言われた通りにしてみたところ、(それだけが効いたのではないでしょうが)あっさりと眠れるようになりました。


でも、入院中に姿をみたたくさんの患者さんの、かなり数の人が、睡眠薬を服用していました。自分はたまたま、なんていうか、、大ごとにならなかったけど、大変だな〜、と思っていました。(知り合いに睡眠薬を飲んでいる人は多くいるし、いまもそう思っています)


というような背景があっての、この本でした。


精神科や心療内科の医師には、睡眠薬を処方するうえで、不眠や薬、それを取り巻く事情、について、「まじめに考え」てきている人が多いのかなと想像しますが、本はそのあたりを、詳細かつすっきりと、説明するものでした。


自分としては「睡眠薬」として飲んでいた覚えはないものの、はじめにかかっていた(そして悪化を招いた)医師に処方されていた、睡眠効果の高い抗不安薬についても、いまさらながら、どういう位置にある薬で、それが(おそらく)どういう根拠で処方され、でも現実としては(体験がそうであった通り)「良くないもの」だったか、理解と納得を深めました。


読み終えて、面白かったり過去の体験の理解を深めただけではない、今後の参考にもなると思ったけれど、それは、精神科病棟での入院生活をモチーフにした(睡眠障害や睡眠薬の描写のある)小説の執筆において、という思いが大きかったのですが、、、なんと。昨日早朝に目覚めたまま、眠気がなく、、、これは「早朝覚醒」かと!


こうしたときのいつもやる、神田橋條治医師の「養生」のやりかたである、「五本指いい子」やら、あちこちの骨の緩め(いずれも、分類するなら、「気功」なのかな)やら、やってみたけれど、珍しく効果なく、、、ふと、この本で読んだばかりの(認知行動療法としての)工夫を思い出し、、、「覚醒」が強いのか「睡眠」が弱いのか考え、なにが「覚醒」を強めているか振り返り、「頭にあり続けている言葉」だと気がつき、、、それを変えてみました。


うまくいくとは思わなかったのですが、、、、気づいたら九時!!

よー眠りました😪


本は、睡眠の仕組みや、睡眠薬の薬理作用、を説明した部分が長いけれど、文も軽妙だし、内容もこなれていて分かりやすく、あまり前知識がなくても、要旨は分かると思うし、あまり分からなくても、なにを試してみればいいかは分かり、効果は得られるかなと思います。


あ、ひとつ、いま、大切なことに気づきました。


睡眠については、これまでも記事にしている、PTSDの養生と同じで、対象に対して自分が無力、ではない、自分の工夫でどうにか改善できる!・・と思えるようになるだけでも、大きな前進だと、思いました。


☆★☆★☆★☆★☆


別の本。

過去に記事にしたつもりで、それを探したのですが、見つからない。。書いてなかったのかなぁ。。


この本こそ、厚くて細密で学術的でややこしく、読んでいるうちに眠くなり(いいかも?)、読了するまで日がかかったけれど、「睡眠」と「夢」について、とくにその役割について、理解と把握がとってもすっきりとできました。


そして、中におまけのように書かれていた、夢を変える手段が・・実践してみたところ、長年にわたりしばしば見ていた「悪夢」の内容が変わり、おそらくそれがPTSDの治癒にも、重要な一歩となりました。


とりあえず本だけ紹介しておきます。


「夢を見るとき脳は――睡眠と夢の謎に迫る科学」(アントニオ・ザドラ、ロバート・スティックゴールド)


養生の手段というのか分野というのか地平というのか、を拡げた、わたしにとっては病の、養生の、転換点、限界突破、の一助となった本です。


☆★☆★☆★☆★☆

(今日のメインの記事の本。病、養生、薬、そして医療とは、医師とは、、についてまで連想が及び、考えが深まる、、おそらくそうした狙いもあって書かれたのであろう本でした)



(サブ記事の本。長いので覚悟して読んでください。そして眠くなってください〜。直接いじることはできないと諦めていた、夢の内容の好転を得られた、感謝の本です。……あ、はじめの医師に、繰り返し見る悪夢について相談したら、「夢の内容まで責任もてないっ」と嘲り笑い飛ばされたことを、十数年ぶりで思い出しました。。)


「今すぐ使える 誰でもつかえる  フラッシュバック対処と予防: アメリカ発 トラウマのプロが教えるフラッシュバックのすべて」

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