・・あれ?
・・思い出して文字に起こしましたが、どこか語順がおかしいですかねえ。。
精神科クリニックでの直近の受診で色々な話しをした中で、濃く印象に残った言葉のひとつが、面接が終わりに近づいたタイミングで医師が言ったこれでした。
「幸せになることを、自分に許す。・・ってことでしょうね」
ぽつり、と医師とわたしの間に置いたかのように聞こえたその言葉は、会計を終えてクリニックを出て、夕暮れの道を自宅に向かって車を運転しているときに、不意に、医師の声と、思いがけない落涙を伴って、思い出されました。
思い返すと、いつもながらに長い時間を割いていただいた面接で、あちこちに飛びながら話しをし、応えてももらった、その全ての内容を総括する言葉に思えてはいたその言葉が、同時に、このところ「終わり」の到来を感じている、「双極性障害」を中心とした人生の停滞、より焦点づけるとしても、その治療・養生に専念あるいは執着、、、あるいは頼らざるを得なかった、長い年月の、全過程を締めくくる言葉にも思えました。
・・と、ここまでを書いてから、三週間ほど、続きを書いてアップする気力やタイミングがなく、別の記事を挟みつつ保留していましたが、おかげでその先についても、記事にできます。
この言葉に涙し、その後、リアルがどう変化するかと思っていましたが、、、それは華やかなものではなく、いろいろな物事へのやる気が失せ、長く寝る日々、、、として現れました。
原稿。家事。・・やるべきと感じ、やってきた、、、病になってからも、体調に余裕が生じればその分だけ、、、いや、体調の限界を探りながらつねに目一杯やろうとしてきたこと、やってきたことが、、、できなくなった。
しかし、できずに、起きられずに、毎日昼ごろまで寝込んでいる自分に、これまでのような苦しさや焦りはなく、やや大袈裟にいえば、ただ寛いで、ぼへ〜〜っとしてられる、心身の状態がありました。
これってもしかしたら、ふつーの人たちが、ふつーに毎日、あるいは週末、感じている体感なのでは・・?
自分としては新鮮な体感。省みると、子どもの頃から、こうした時間をあまりもてていなかった。
もっていたのは、大学生になって一人暮らしを始めてから2年間くらい。
馬鹿だったけれど、日々が楽しかった、体調も良かった、時期でした。
神田橋條治医師が、養生のコツの一つとして、生育歴を振り返って、心身の調子が良かった時期にやっていた暮らしを真似る、特徴を取り入れる、ということを書いています。
自分がその頃に調子が良かった、ということは、思い出してはいましたが、その頃の暮らしの気分やリズムを、取り入れることまでは、できていませんでした。そして同じ感じになってみて(寝たいだけ寝て、腹が減ったらてきとーに食べ、読んでいる本が面白くて明日のことを思いつつも熱中して夜更かしする、、など)、ああこれは、当時は実家を離れたことが作用し、今は内なる縛りが解けてきたために、こういう、いわば自由な気分の時間がもてているのだなと、思いました。
焦点の周りをぐるぐる巡っているような記事になりましたが、、、
動けない自分 ⇨ 動きたくないから動かない自分
やれない自分 ⇨ やりたくないことをしない自分
を過ごしているうちに、
「幸せになることを、自分に許す」
ということは、こういうことなのだなと、思えてきました。
母の幸せのために気力を奮い立たせて電話をかける、、をしない。
家族の家計の立て直しのため気力を奮い立たせて執筆、、をしない。
隣人が見ての気分を考慮して気力を奮い立たせて草むしり、、をしない。
今の自分は、休みたかったんだな、と。
休んだ先に、原稿にせよ家事にせよ遊びにせよ、なにか「やりたいこと」に向かって動き出す日がくると、、、、その思いが予感としてあったことも、うつ状態との大きな違いでした。休むことに焦りがない。
そして昨日あたりから、少し、行動している時間が現れだしました。
まだ「幸せになることを、自分に許す」の初心者、はじめの一歩を、踏み出せただけと思います。
でも、それだけでもすでにこれほどに大きな、日々の体感の違いを感じられ、日々の流れの違いがあるながら、許し続けた先に、どういった人生になってゆくのかも、楽しみです。
(そしてこのところの思考パターンとして、ふつーの人は、ふつーに、こういう体感の流れを生きて、年齢を重ねていってるのだなと、、、羨ましいというのではもうないけれど、、、なにか、圧倒的な、遠回りを、自分はしたのだなぁと、思います。そしてその年月はそのまま、思いがけず過ごした豊かな年月であったなと、今は思えます)
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