アマゾンへのリンクになっています。
ブログを書くのが久しぶりすぎて、画像がうまく貼れません。。
著者の服部さんは、異業種から、心理の道に入り、いまはアメリカと日本で、トラウマケアを中心とした臨床をされている方です。それは知っていたのですが、今回、知人から、本の紹介を得ました。
トラウマケアの本はあれこれ読んできたし、今も読んでいますが、実際に自分の日々を楽にするもの、と出会えると、世界がまた一歩、確かに、変わります。まだ読んでいませんが、これもそんな本のようですね〜
(しかしなぜバナー画像が表示できないのだろう。。▶︎あ、なんか、分かりました。画像表示をする方法が今年からかなりややこしくなったようですね〜。って、、過去の画像も、すべて消えちゃってる!!)
2 件のコメント:
父は第二次世界大戦で赤紙で招集され上海の辺りへ行きました。部隊200人のうち生き残ったのは二人だけでした。
2年間、台湾で捕虜として生活しました。(台湾はとても良くしてくれて、父は太って帰国しました)
ところが働こうとしたら、金属が触れ合う音を聞くだけで「自分も銃で撃たれて死ぬ」という恐怖で動けなくなる。死体の山を思い出す。
戦後2年経っていましたから、帰国後の兵隊がそうなること、治るのにさほどの時間はかからないことが知られてた。
長兄は兵役を免除されて働いていて「とにかく学校へ行け」と言ってくれて、大学に編入し、結果的に父は憧れの教員になれた。
(父は3人兄弟。父が出征する時には既に次兄は戦死していました)
官舎(公務員の社宅)が酷いところで、DIYしないとどうにもならない。周囲の家の分までトンカチ🔨カンカンやってた。つまり2年の学校生活でトラウマは消えた。トラウマの一例です。
三毛ニャン
コメントありがとうございます。
お父さま、たいへんな思いをされたのですね。
わたしの父との共通の体験も多く、あの時代をその年齢で生きた男性に、一般にあった体験なのだろうなと思いました。
そして老若男女を問わず、きびしい時代であった、、、、
と、過去形で語って終わり、ではないよな、、、というのが、このところ、思っていたことでした。
PTSDについて、「ベトナム戦争」をきっかけどにアメリカで概念が定着していったとの話は聞くけれど、日本の第二次大戦でも、当然あったこと、それがどういう理由で公では語られず、そしてそれが、次の世代(私も含む)に、どんな影響を及ぼしているか。
ということを、考え、研究している、人たちがいることを、最近知りました。
詳述すると長くなるので別の機会にしますが、私ももろに、戦争の爪痕を受けて、育ち、生きている、のだなぁ、と思っていたところです。
ということでとてもタイムリーな、私の関心の的を射たコメントで、びっくりしました。
びっくりといえば、、、一年ほども投稿していなかったのに、投稿したらこんなにすぐに、読んで、コメントまでいれてくれたことも〜
以前のブログと同様、閉鎖しようかなと、思ってもいましたが、また少し書くのもいいかなとか、思いました☆
コメントを投稿