2021年3月31日水曜日

バルプロ酸が効く人が薬の用量を自分で調節することがあっている理由。神田橋條治医師の見解では・・


神田橋條治医師の面談(直接の受診と電話受診)の特徴を色々と感じていますが、その一つに、面談を繰り返すほどに面談の間隔が空いてゆく、というものがあります。


三ヶ月弱ぶりとなった先日の電話受診。バルプロ酸の服用量についての見解の相違から「主治医に放り出された」ことを簡単に述べると、神田橋医師の処方の一つの特徴でもあろう、バルプロ酸の服用量を患者本人が調節できるように導くことの理由を、改めて教えてくれました。


以下、わたしの理解と知識と体験と私見を混ぜての、メモ書きです。


バルプロ酸は・・

・双極性障害の気分や気力の変動を抑える「気分安定薬」などと呼ばれる薬剤群の中の一つ

・気分や気力の、高低双方の波を低くする

・服用後(調節後)の効果の現れは速く、数時間から数日で効きはじめる

・体調に対して過量を服用していると心身の活力が鈍ったままとなる


バルプロ酸が効く人は・・

・双極性障害の人のうちの20%ほど

・炭酸リチウムが効く人(最も多い)などとは気性が異なる

・感覚が細やか

・クリエイティブ、工夫が好き、独創性を求める

・進歩すること、結果を体験することで満足感を得る

・人の言うこと、スタンダード、をそのまま呑むのが嫌い

・人生に生き生きとした手応えを求める


服用量を自分で調節すると・・

・元来得意な、気分や気力や体感や体調、脳内の言葉、の微細な変化を感じることが、より上手にできるようになる(自分の状態のモニターが上手になる=自分の才能を生かせ、進歩を得られる)

・脳が好きな、「工夫」と「結果の体験」ができ、すっきりする

・活力やクリエイティビティを邪魔しない適量(最少量)を使い続けられる

・気力や気分の波の初動を捉え、早め早めに対処できる

・自分が主体となって治療に当たれる

・薬の効く、双極性障害ゆえの脳の高低の波と、薬の効かない、体の疲れなど病と関係の薄い波とが、分けて捉えられるようになる


一律な量の服薬を強要されると・・

・工夫が生かせずストレスになる

・体感を生かせずストレスになる

・自身の人生の手綱を人に委ねている感がストレスになる

・成功しても失敗しても医師の手応えというところがストレスになる

・多すぎれば感覚やクリエイティビティが鈍麻し日々が輝かずストレスになる

・少なすぎれば体感できている躁や鬱(の兆し)を見殺しにせねばならずストレスになる

・心身の調子を感じる感覚やそれを養生に活かす技術が進歩しない



神田橋医師がおっしゃるには、日本の精神科臨床でのバルプロ酸の使い方は、一律な量の服薬を続けさせることが一般的、とのこと。でもそうしていると、バルプロ酸が効く人の脳が苦手な日々を強いられることになり、やがて気分や気力の波が大きくなり、そうなったことで、一定量(過量)を服薬していたことが(マッチポンプ的に)正当化されてしまう、とのことでした。


そーだろーなー、って思う。(元)主治医のもとでの服薬は、当初、神田橋医師の見立てよりもずっと多く(神田橋医師のセカンドオピニオンによる処方をわたしが試したがって懇願してバルプロ酸に替えてもらっため、せめて量は(元)主治医が言うままに大人しく飲まないと、元の薬・・炭酸リチウムとラモトリギンの一定量・・に戻されそうに感じた)、そればかりが原因ではないにせよ、そのときの不調のひどさが、記憶に強く残っています。主治医には嫌がられていた神田橋医師の電話受診を続けていなかったら、そして不機嫌な顔にあらがってジリジリと服用量を下げていなかったら、あの量を飲み続けて、「バルプロ酸はわたしには向かない」あるいは「わたしは重症で治らない」と、結論づけていたかもしれません。


当初は800mg。今は100mgの日が多いです。最少用量の錠剤が100mg錠。ゆっくり溶けるように作られている製剤で、割って飲むと体調に色々と負荷がかかるため、今後、今より減らすときは、0mgとなります。神田橋医師はそれでいいという考え方です。


改めて注記しておきますが、以上は、「バルプロ酸が効く人」についての、話。それも、体験から得た気づきによる私見、も含むメモです。


それにしても、神田橋医師の治療は面白いです。本を通しての十数年来のファンでしたが、実際に受けてみると、想像していたのと全然違う。薬のことももっと色々書きたいし、他のことももっと書きたい。


でも、精神科閉鎖病棟の入院体験をベースにした小説の執筆(今は編集校正作業)にエネルギーを取られて、こっちはなかなか進みません。。



(👇神田橋医師の最新の本。現時点では未読。落穂拾い的で面白そう〜)




2021年3月27日土曜日

物語を信じる。物語の力を信じる。精神療法面接でも・・

 

このところ不思議なほどにしばしば、かつ力強く、「見えざる力が流れを良き方へと方向づけてくれた」と感じる出来事が続いています。


双極性障害(わたしは双極2型障害。1型障害と合わせて「双極症」と名を変えるという話も。名称について思うところありますが、それはまた後日)の初発のおり、悪化から平癒への転機となったのは、通院先を変えたことです。その前後の「治せなかった医師」と「治せる医師」の主たる違いの一つが、「物語」を信じているか否か、でした。


物語」。見えないストーリー、見えない意思、見えない力、と言ってもいい。


数回前の記事に書いた、このたび離れることになった医師も、物語を信じない人でした。「起きていることは全て偶然だと私は信じてます」。そう言ったときの表情が、三年ほどに渡り断続的に会ってきた中で、もっとも本心を言ってる感のある、、なんていうか、、、意地悪そう、、というのも違うけど、、、そんな顔でした。あの日、診察室でその表情を見ながら、わたしは、この先生ではわたしを、患者を、治せないだろうなと思いました。


精神科の治療で使える(西洋医学の範疇の)道具の双頭は、精神療法面接、であろうと思います。そのうちの後者は、物語というもの(ならびにその力)を「ある」と仮定していないと、機能しないと思ったのです。


振り返ると、その医師とわたしとの間に拡がっていった溝は、「物語」を境として、「信じない」ことこそ安全という医師と、「信じる」ことでこそ人生の展開もありうると感じるわたしの、綱引きだったのかもしれません。・・・いやちょっと、記事の流れに引き寄せて現実を解釈しすぎているかな。。


精神科の諸々の薬と同じく、「物語」の力も強大で、人生を良い方へも悪い方へも大きく動かします。だからこそ、それら両者を扱う精神科医は、医師免許の取得が課せられ、のみならず、専門医としての資格も求められる。だからこそ両者とも、保険診療の対象として、意義あるものと評価もされ、使い方の監督もされている。


わたしには、初発時の治癒体験が強烈なプラスの印象を作り、そのご、特定の物語を信じすぎ、再発へと繋がった、という面があります。加藤忠史先生だったでしょうか、再発について、初発よりずっと人生への悪影響(中でも社会的なそれ)が強いと指摘していましたが、人生にとってどうだったかはともかく、初発時の大変さが軽いものと思えてしまうほど、ひどい症状を体験しました。


でも、だからといって、「物語」自体が悪い道具なわけではない。鋭利な刃物は刺身も美味しく挽けるが、間違えればあっさりと指も落とせる。


物語を信じ、自らのために慎重に使い、また他者のために、良き道具となりうる物語を、書いていきたいと思います。


(👇幾たびもの断捨離をかいくぐり、本棚に居ます)




2021年3月21日日曜日

バランスを取るのが苦手です

 

「電磁波」の健康への害を気にして暮らしている人は身の回りに僅かしかいません。


「放射能」も私の生活する地方ではすでにあまり気にしていない。


スマホやパソコンの「GPS」(位置情報)機能を、プライバシーのダダ漏れを恐れて使わない時は切っている人も少ないでしょう。


健康や安全や気分の良さに脅威となるあれこれは、文明の発達、技術の進歩、によって、減ったように見えて、実は姿を変えて、増えているように思います。


私はそれらをとても怖がるたちですが、全てを避けていたら生活の幅は非常に狭まり、「窮屈」が引き金となる双極性障害を発病させてしまうでしょう。かと言って、「この時代に生きるのだから仕方がない」とか、「便利や楽しみと引き換えだから構わない」、ましてや「国の基準の範囲内だから安全なはず」と、さら〜っと受け入れて生活することもできない。


その、危険とどの辺りで折り合いをつけ、バランスよく生活するのか、いつも悩みます。


神田橋條治先生に以前、その辺りへの助言を請うたら、


「難しいねえ。工夫してみて」


と、あっさりと返されました。


先生の著書に、「常に迷うこと」がコツだと、書いていあったとを思い出しました。


柔軟に揺れているがゆえの、安定


前回の記事に書いた、「主治医」からの見放され体験。

強がったことを書きましたが、さすがに揺れ、でも、いろいろな形で救いや励ましの言葉が届き、すみやかに安定しました。


薬を「炭酸リチウム+ラモトリギン」から「バルプロ酸」に変えたのも、バルプロ酸の量を減らしたのも、神田橋先生の助言をきっかけにしつつも、体調や内なる言葉の変化を小さなうちから感じるように努力して、自分でも常に考え、迷いながら進めてきたことでした。


自分の判断や行為こそ間違っているという可能性も留保できていることも含めて、「常に迷って」ここにいることが、統計処理された数字を論拠に万人を同じ線で区切る傾向の強い「迷いのない」主治医より自分を信じようという気持ちを、もたらしているように感じます。


ちなみに、神田橋先生のそのあっさりとした回答は、私が、双極性障害でバルプロ酸が効く人という、「自分で工夫することが養生になる」タイプであることを踏まえての答えでもあると思います。また先生は、双極性障害の薬について、「バルプロ酸」が効く人「」、自分でそれを加減をしながら暮らすことが可能だとおっしゃっています。


バランスをとって、危険はそのレベルに応じて対処し、でも総合的には生活を、人生を、明るく楽しんでいる知り合いたちを見ると、いいな〜、達人だな〜、と思います。


今はせめてそうした人たちに相談でき耳を傾けられる自分になれて、良かったな〜と、思います。


2021年3月16日火曜日

精神科医(主治医)に放り出されました〜


久しぶりの投稿です。

 
もうどなたも訪れてくれてはいないと思いながら、統計情報を見たら、今も結構来てくださっていました。

嬉しい〜!!!

ありがとうございます。


いつも記事にする神田橋條治先生の電話受診ではなく、地元の行きつけの病院の主治医の診療を、久しぶりに受けました。

そして思いがけず、、、

放り出されました〜!🤣🤣🤣


背景と経緯の詳細を書くと小説の一章くらいの量になりますので、今はやめて。
医師の発言の要旨は、、


「服薬量についての指導を守れないなら、他へ行ってください。他の先生の紹介はできません」

え? そうなん?
って、こんな昔っぽいこと言う先生、まだ世間にいたのか〜!

っていうのが初めの思い。
そしてやがて、

なんだか春だな〜🌸🌸

って思いました。


ちょうどかみさんに、「病気になってからこれまでの(十七年ほどの)中で、いちばん状態がいい。良い意味で元気だ」と、嬉しいことを言われたばかりでした。

確かに今回、前回の受診時に言われた(正確には「自己申告」した)服薬量の幅を超えて減らしました。
でも、自分一人でアレンジしたのではない、ましてやハイの産物でもない、重ね重ねの学びと努力と工夫の末に体得実践できている、私に合った薬とその服薬量。

それを変えろと脅されても、、、ねえ。変えられません。

薬の量を変えるのではなく、医者を変えることにしました。



春は別れと出会いの季節。

経緯を知っているかみさんや友だちたちが、私の代わりに医師を陰で罵ってくれて、モヤモヤも消えて☺️


私はおっとりと、卒業の寂しさと希望に浸っています。


(服薬量について、私の方が正しい、という主張ではありません。そのあたりは忘れなかったらおいおい〜)

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