神田橋條治医師の面談(直接の受診と電話受診)の特徴を色々と感じていますが、その一つに、面談を繰り返すほどに面談の間隔が空いてゆく、というものがあります。
三ヶ月弱ぶりとなった先日の電話受診。バルプロ酸の服用量についての見解の相違から「主治医に放り出された」ことを簡単に述べると、神田橋医師の処方の一つの特徴でもあろう、バルプロ酸の服用量を患者本人が調節できるように導くことの理由を、改めて教えてくれました。
以下、わたしの理解と知識と体験と私見を混ぜての、メモ書きです。
バルプロ酸は・・
・双極性障害の気分や気力の変動を抑える「気分安定薬」などと呼ばれる薬剤群の中の一つ
・気分や気力の、高低双方の波を低くする
・服用後(調節後)の効果の現れは速く、数時間から数日で効きはじめる
・体調に対して過量を服用していると心身の活力が鈍ったままとなる
バルプロ酸が効く人は・・
・双極性障害の人のうちの20%ほど
・炭酸リチウムが効く人(最も多い)などとは気性が異なる
・感覚が細やか
・クリエイティブ、工夫が好き、独創性を求める
・進歩すること、結果を体験することで満足感を得る
・人の言うこと、スタンダード、をそのまま呑むのが嫌い
・人生に生き生きとした手応えを求める
服用量を自分で調節すると・・
・元来得意な、気分や気力や体感や体調、脳内の言葉、の微細な変化を感じることが、より上手にできるようになる(自分の状態のモニターが上手になる=自分の才能を生かせ、進歩を得られる)
・脳が好きな、「工夫」と「結果の体験」ができ、すっきりする
・活力やクリエイティビティを邪魔しない適量(最少量)を使い続けられる
・気力や気分の波の初動を捉え、早め早めに対処できる
・自分が主体となって治療に当たれる
・薬の効く、双極性障害ゆえの脳の高低の波と、薬の効かない、体の疲れなど病と関係の薄い波とが、分けて捉えられるようになる
一律な量の服薬を強要されると・・
・工夫が生かせずストレスになる
・体感を生かせずストレスになる
・自身の人生の手綱を人に委ねている感がストレスになる
・成功しても失敗しても医師の手応えというところがストレスになる
・多すぎれば感覚やクリエイティビティが鈍麻し日々が輝かずストレスになる
・少なすぎれば体感できている躁や鬱(の兆し)を見殺しにせねばならずストレスになる
・心身の調子を感じる感覚やそれを養生に活かす技術が進歩しない
神田橋医師がおっしゃるには、日本の精神科臨床でのバルプロ酸の使い方は、一律な量の服薬を続けさせることが一般的、とのこと。でもそうしていると、バルプロ酸が効く人の脳が苦手な日々を強いられることになり、やがて気分や気力の波が大きくなり、そうなったことで、一定量(過量)を服薬していたことが(マッチポンプ的に)正当化されてしまう、とのことでした。
そーだろーなー、って思う。(元)主治医のもとでの服薬は、当初、神田橋医師の見立てよりもずっと多く(神田橋医師のセカンドオピニオンによる処方をわたしが試したがって懇願してバルプロ酸に替えてもらっため、せめて量は(元)主治医が言うままに大人しく飲まないと、元の薬・・炭酸リチウムとラモトリギンの一定量・・に戻されそうに感じた)、そればかりが原因ではないにせよ、そのときの不調のひどさが、記憶に強く残っています。主治医には嫌がられていた神田橋医師の電話受診を続けていなかったら、そして不機嫌な顔にあらがってジリジリと服用量を下げていなかったら、あの量を飲み続けて、「バルプロ酸はわたしには向かない」あるいは「わたしは重症で治らない」と、結論づけていたかもしれません。
当初は800mg。今は100mgの日が多いです。最少用量の錠剤が100mg錠。ゆっくり溶けるように作られている製剤で、割って飲むと体調に色々と負荷がかかるため、今後、今より減らすときは、0mgとなります。神田橋医師はそれでいいという考え方です。
改めて注記しておきますが、以上は、「バルプロ酸が効く人」についての、話。それも、体験から得た気づきによる私見、も含むメモです。
それにしても、神田橋医師の治療は面白いです。本を通しての十数年来のファンでしたが、実際に受けてみると、想像していたのと全然違う。薬のことももっと色々書きたいし、他のことももっと書きたい。
でも、精神科閉鎖病棟の入院体験をベースにした小説の執筆(今は編集校正作業)にエネルギーを取られて、こっちはなかなか進みません。。
(👇神田橋医師の最新の本。現時点では未読。落穂拾い的で面白そう〜)