「電磁波」の健康への害を気にして暮らしている人は身の回りに僅かしかいません。
「放射能」も私の生活する地方ではすでにあまり気にしていない。
スマホやパソコンの「GPS」(位置情報)機能を、プライバシーのダダ漏れを恐れて使わない時は切っている人も少ないでしょう。
健康や安全や気分の良さに脅威となるあれこれは、文明の発達、技術の進歩、によって、減ったように見えて、実は姿を変えて、増えているように思います。
私はそれらをとても怖がるたちですが、全てを避けていたら生活の幅は非常に狭まり、「窮屈」が引き金となる双極性障害を発病させてしまうでしょう。かと言って、「この時代に生きるのだから仕方がない」とか、「便利や楽しみと引き換えだから構わない」、ましてや「国の基準の範囲内だから安全なはず」と、さら〜っと受け入れて生活することもできない。
その、危険とどの辺りで折り合いをつけ、バランスよく生活するのか、いつも悩みます。
神田橋條治先生に以前、その辺りへの助言を請うたら、
「難しいねえ。工夫してみて」
と、あっさりと返されました。
先生の著書に、「常に迷うこと」がコツだと、書いていあったとを思い出しました。
柔軟に揺れているがゆえの、安定。
前回の記事に書いた、「主治医」からの見放され体験。
強がったことを書きましたが、さすがに揺れ、でも、いろいろな形で救いや励ましの言葉が届き、すみやかに安定しました。
薬を「炭酸リチウム+ラモトリギン」から「バルプロ酸」に変えたのも、バルプロ酸の量を減らしたのも、神田橋先生の助言をきっかけにしつつも、体調や内なる言葉の変化を小さなうちから感じるように努力して、自分でも常に考え、迷いながら進めてきたことでした。
自分の判断や行為こそ間違っているという可能性も留保できていることも含めて、「常に迷って」ここにいることが、統計処理された数字を論拠に万人を同じ線で区切る傾向の強い「迷いのない」主治医より自分を信じようという気持ちを、もたらしているように感じます。
ちなみに、神田橋先生のそのあっさりとした回答は、私が、双極性障害でバルプロ酸が効く人という、「自分で工夫することが養生になる」タイプであることを踏まえての答えでもあると思います。また先生は、双極性障害の薬について、「バルプロ酸」が効く人「は」、自分でそれを加減をしながら暮らすことが可能だとおっしゃっています。
バランスをとって、危険はそのレベルに応じて対処し、でも総合的には生活を、人生を、明るく楽しんでいる知り合いたちを見ると、いいな〜、達人だな〜、と思います。
今はせめてそうした人たちに相談でき耳を傾けられる自分になれて、良かったな〜と、思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿