前の記事の終わりに、医師を無条件に「先生」と呼ぶならわしについての違和感を(未整理のまま)書きましたが、、、
ちょうど読み終えていた本。
「天職」
著者の「天野篤」さんは、心臓血管外科医です。
色々なメディアで顔や名を見聞きしており、ジャケットの写真でこちらを見る姿に興味を覚えました。
神田橋條治医師の本のなか、十数年前に初めて読み、納得を覚えた話・・
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医師のタイプによる、患者に与える影響は、良い順に・・
A:熱意があり、技術もある
B:熱意はないが、技術はある
C:熱意も技術もない
D:熱意があって、技術がない(間違えている)
(↑ 記憶を頼りに書きました。原典は「精神療法面接のコツ」あたりだったかな?)
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「C」の医師が最悪な気がしていたので、あれ? って思いました。
でも、熱意がなければ患者からの見切りが早いので、悪い影響は少ない、というのです。
なるほど! と思いました。
わたしも、熱意を感じると、それだけで信用して、あるいはほだされて、あるいはおもんぱかって、傾倒して通い続けてしまうなーと思いました。
思い出しました。「D」のタイプの歯科医師に傾倒し、泥沼に陥った経験がありました。熱意というか、、、言葉がひじょーにうまかった。世間の歯科医師を批判する言葉が、熱くて巧みで、、本人の技術は二流、、いや1.5流くらいだったのかな(笑) そして当時の自分は感じないようにしてしまっていたけれど、その熱意も、「患者の人生」を思う「真心」からでは、まるでありませんでした。
「天職」は、天野篤医師が、目の前の患者のために全力を尽くして治療とその研鑽に当たってきたことが良く分かる内容でした。そしてそれが「言葉だけ」でないことは、書かれていた幾多の(言葉では動かしようのない)実績と、医師として駆け出しの頃の失敗や反省を赤裸々に載せていることからも、知れました。
その上で、若手医師ばかりか地位のある先輩医師に関してまで、患者のためになっていない思いや行いを随所であからさまにし、もっと真に患者のために仕事をしようよと、呼びかけている。
こーいう医師をこそ「先生」と呼びたい。天野篤先生のような人が医師の中にいると思うと、医療に、社会に、人生に、希望のようなものを感じました。そしておそらくは、まれな一人、ではないのだろうと思いました。
ちなみにいま通っている歯科医院の歯科医師も、「先生」と呼びたい医師であり、かつ、「先生」と呼ばなくても(おそらく)へそを曲げない医師です。こーいう先生に出会うと、その分野での心配をしなくて済むようになり、生活が本当に、楽になります。
いろんな分野で、「先生」と呼びたい医師、「先生」と呼びたい人、に出会いたいなと、思いました。
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