お出かけの楽しい時間が終わり、中一日。
体の疲れは残るものの、原稿作業に戻りました。
精神的な不調に陥って精神科に通院しながらも、まだ会社に勤めていた苦しい月日。
休日が終わる時間はいつも強い寂しさと恐怖にいました。
使役馬が、きつい労働が始まる月曜の朝になると、不調になる。
それを、「Monday Morning Disease(月曜の朝病)」と呼ぶそうです。
初めて知ったとき、キリスト教文化圏では、馬も日曜は安息日なのかと感心した覚えがありますが、、、そう、日本では「サザエさん症候群」との名も聞きますね。
今の自分にそれがなく、遊びも楽しい、でも原稿作業も充実感があって好き、という状況が、ありがたく、楽だなと、改めて思いました。
そのことを書こうかなと思ったさきほど、、、、病気初期の、とくに月曜日の朝に多かったように思う、動かない体をどうにか動かして着替え、泣き崩れながら玄関まで廊下を這い進み、ときに家を出られときに出られなかった自分の苦しさを、、、、当時「うつ病」と診断されていた病の「症状」として捉えていたことを、久しぶりに思い出しました。
出社できない日が増えたと訴えるたびに、医師の処方する抗うつ薬の量も増えた。
しかし今になり振り返ると、それは「症状」と、言えなくもないけれど、だとしても、実際に「嫌」で行きたくなく、かつ、過労がこれ以上進むことを危ぶむ命が発する感覚を、増幅している部分を、「症状」と捉えていたのが、本当であり、またそうした捉え方が、世間あるいは医療では一般的だった、そして今も一般的だと、・・・今は分かります。(こうした場合に抗うつ薬を使うことを否定するものではありません。なんのために使うか、によります)
仕事が、職場が、嫌だったのに、その気持ちに気づいていなかった。
危険なまでに疲れていたのに、その疲労に気づいていなかった。
かつて記事に書いた気がしますが、この、双極性障害と呼ばれる病の症状の本質は、「増幅」機能だと、わたしは思います(そうそう、この考え方も、オリジナルです〜😄)。
無視してきた、あるいは蓋をしてきた、体感や、感情や、思いを、増幅して知らせてくれる。
感知し、受け止め、従って活かす、、、ができないと、その増幅度、レバレッジ、はさらに大きくなる。(薬で押さえつけようとすれば、症状もひどくなる。⇦この洞察はオリジナルではないです〜)
原稿を「仕事」と自称して暮らしている年月が思いのほか長くなり、諸条件の変化もあり、家計が底をつく日が迫ってきてはいますが、この「仕事」に出会えたことに感謝して、オフとオンとの双方が楽しい日々を、大切に、丁寧に、過ごしたいと思います。
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