2022年6月23日木曜日

双極性障害のこじらせ要因の解消(軽減)と断捨離。・・エネルギーの変わり目に大きな片付けをすることが多いようです


 パソコンを開いたら「4週間バックアップがされていない」との警告がでました。

原稿作業を離れてから、4週も経ったのかぁ!


昨日から原稿作業に戻るつもりでしたが、暑さが本格的になるとの予報を知り、居間や書斎の窓を開け放てるよう、ずっと気になっていた夏支度、窓枠やブラインドの掃除に手をつけました。


ここ数年、原稿作業を優先すべく、また、体力に自信がなく、気力もなく、、、おざなりにしかしていなかった、家の夏支度。


動き出したらあちこちの滞りが目につき、、、昨日も今日もやり続けました!!


よく動けたわ〜

全身筋肉痛のうえに、神経痛まででてるけど。。。

そして終わってないけど。。。


今回の掃除は疲れつつもこのまま断捨離に突入したい気分もあり(少し前に服類の断捨離をしました)、自分が、いわゆる「エネルギーの変わり目」にいることの、自覚があります。


これまでを振り返っても、療養の進展を含む、人生の節目で、こうした大きな掃除・断捨離を、自然とやってきました。


でも、、不思議ですよね。これまで「やらなくちゃ」と思っても着手できなかったそれを、自然とやる気になり、そしてやり始めると、これまえもずっとそこにあった物やその状態の「汚れた感」「古びた感」を初めてまざまざと感じ、自分自身が停滞していたことが、よくわかる。


詳しいことは改めて書きたいと思いますが、自分はいま、基礎疾患(双極性障害)をこじらせていた、複数の要因が、苦しみと試行錯誤の長い年月の果てに、いっきに解けつつある状態、、、のようです。


そしてそれはそのまま、人生をこじらせてきた重くて硬くて窮屈な鎧からの開放、、のようでもあり・・・



大きな変化にいるのだろうなと、、そう信じたいという思い、でも本当にそうなのかなという思い、、、でもやっぱり、おそらくそうなのだろうという、、、感じ。確信。


掃除をし、恩恵を受けきった物たちを、感謝とともに処分して。


そうしたら、これまで欲しくても得られなかった、いろいろな物を、体験を、楽しく味わってみたいです。


2022年6月19日日曜日

「休養が受け入れられれば双極性障害の治療の半分は達成されたようなもの」

 

原文はこちらでした。

「休息がなされたならば、BPⅡの治療は半ば成功したとみてよい。」

内海健「うつ病新時代 〜双極Ⅱ型障害という病」(116p)



え〜と、、休んでいます。もう3週間は休んだかな。



「休息」をとらない暮らしを続けてきて「BPⅡ(双極Ⅱ型障害)」になり、はじめてかかった精神科医の、なおいっそうの頑張りを求める類だった治療と指導のなかで、悪化を続けた数年。


転院し、やがて「休息」を受け入れ、症状がおさまり薬も卒業したのですが、、


まれなる「双極性障害の治癒」の体験記を書くぞ! と思い立ち、いわば休まずに書き続けて、九年後に再発。。😓


おかげで精神科閉鎖病棟の入院を体験し、今度はそれをモチーフにした小説を書き続けて四年半。。😂



・・とまあ、初発の寛解前後の短い月日を除けば、苦しくて動けないのではないのにこれほど長く安らかに休んでいるのは、この四半世紀のなかで初めてかな〜と思います。



「休息」とか「休養」というと、家でゆっくりと、寝たりぼんやりしたりテレビを見たりする、穏やかな状態に、限定しがちですが、双極性障害のわたし(たち)(あるいはバルプロ酸が効くわたし(たち))は、じっとしていても頭の中で言葉や衝動が動き回っていますので、ただただ体を静かに保っているという、一般的にイメージしがちな休息・休養は、じつはかえって休まらないことも、多いように思います。


つまり、わたしたちにとっての休息・休養は、寝る、ぼんやりする、に限らず、おいしいものを食べたり、仲の良いひとと喋ったり、本を読んだり、散歩にでたり、旅にでたり、冒険したり、、とにかく、自分がやりたいことを、自らを追い立てずにやる、、、つまり、気が向くことを気が向く程度でする、ということかと思います。


内海健医師のこの本。

初めて読んでから十五年ほど。

難しく、面白く、くり返し読んでいます。


そのなかで、上の引用部分は、

・休息できる⇨治療は半ば成功

と理解していましたが、

・治療が半ばまで進む⇨休息できる

も含む、表裏一体の意味なのだろうな〜と、思えてきています。



実はシンプルで、単体ではさほどたいへんな病でないのではと、このごろ思えてきている、「双極性障害」。その「核」にまとわりついている、あれやこれやの「こじらせ要因」が、このところやっと薄れ、休んでもいいんだという心境に、やっとなってきたのかなと、思います。


そうだといいなぁ〜🌟🌟🌟


そしてそれをまた、小説だかノウハウ本だかに、できたらいいなぁ〜🌟🌟🌟



(内海健医師の本は比類がなくどれも面白いです。ただし、当事者が自身の病の病理を学ぶことが、治癒を促すか邪魔するか、、、一般論としてはわたしには分かりません。よく効く薬には必ず副作用ありと聞きますが。わたしにはとても効いたように思います)

↓これが引用の元の本。ジャケットデザインがちょっと、、、ひどすぎ。


↓改訂版。文体もジャケットデザインも穏やかになってホッ。

↓実質的には上の二冊の全面改訂版、情報と考察のアップデートかなと思う。とにかく難しいがとにかく面白い。

2022年6月8日水曜日

馬鹿なわたしの明晰な夢・・・双極性障害の再発による精神科閉鎖病棟への入院を描いた小説の完成形


 かねてより理想形を探していた未来図がいま結晶した感じがあったので、備忘として書いておきます。


わたしは自分がとっても馬鹿だと思っています。

そして、馬鹿なのでこれしかできないこと(精神疾患をテーマとした小説の執筆)をしていると思っており、

このごろはそれが、馬鹿にしかできないことでもあったのだなと、思えています。


以下、上梓された小説の概要(明晰なる夢)です。


【作品紹介】

タイトル・・「**」

内容・・溺愛していた一人息子の門出と、双極性障害の「治癒」体験を上梓しようとしての九年間に渡る執筆の行き詰まりが重なり、病を再発した主人公。自殺企図を繰り返し、精神科病院の閉鎖病棟に医療保護入院となる。修正型電気痙攣療法を受けつつ保護室で暮らす日々を経て、ストレスケア病棟に移り、大勢の職員や患者との交流、家族との繋がり直しのなか、安定を得て退院する。

著作・・明風(あけかぜ)

解説・・神田橋條治(精神科医)

編集・・渡辺明美(編集者)、北村暁子(編集者)

装画・・石川九楊(書家)

出版・・ライツ社

受賞・・「絲山賞」「メンタル本大賞」

映像化主題歌・・宇多田ヒカル(アーティスト)


🐱

双極性障害の初発のなか、今は亡き(同病の)父に、「本当にやりたいこと」(その時はある形のカフェ経営でした)を初めて打ち明けたとき、「夢みたいなことばかり言っていないで、いいかげん現実を見ろ」と、きつく諭されました。


諭されたその「やりたいこと」から桁違いに(現実的でない、という意味での)「夢」らしくなった、今の夢。


夢の中で積む積み木も夢中で積み上げ続ければ現実に姿を現すと信じて。


たくさんの人たちの有形無形の応援を得て、第二稿がとりあえずの「完」に至り、不調のためを除けば初めてのように長く休んでいるいま、明確に見えた(明日には変わるかもしれないけれど)完成形。


どこが(どこか)この通りになるかな〜


(お名前を出させていただいた個人ならびに法人の方々にはなんのお知らせもしておりません。敬称もつけずで。。すでに世間に知られた方々ということでお許しください🐰)


2022年6月4日土曜日

書籍『教えて 発達障害・発達凸凹のこと』(杉山登志郎、白柳直子)、テレビドラマ『僕の大好きな妻!』、『心と身体と命のこと』(神田橋條治、白柳直子)


双極性障害を中心とする自身の不調をどうにかしたいと情報を得る年月のなか、世間で「発達障害」は次第に大きなトピックとして半ば「はやり」のように扱われていたのは知っており、現代を生きる自分もきっと当事者としてのヒントを得られるだろうと、それなりには学んできてもいたのですが、、、精神科領域の他の病と異なり、学ぶほどに実態が見えなくなってゆく、よー分からない一分野として、理解を諦めてしまっていました。

そんななかで先日読んだのがこれ。

『教えて 発達障害・発達凸凹のこと』杉山登志郎、白柳直子

著者のひとり「杉山」さんの単著を読んだ覚えはないですが、子ども(〜青年)を専門に診る数少ない精神科医の筆頭として、あちこちの本でその論や技術は垣間見ていました。

いっぽう「白柳」さんは整体師で、けがが元でできた(筋肉の)「癒着」を剥がすことで体の動きを本来のバランスに戻すという、思想と方法をセットで開発し、独自な治療を実践されています。神田橋條治医師との共著が数冊あり、わたしも神田橋医師との繋がりから知りました。

で、この本。

うっすい本で、役所の関連する窓口に「ご自由にお持ち帰りください」と積まれている姿を想像してもあながち的外れでない印象で、期待せず読み出したのですが、、、

一般の当事者やその関係者が読んで分かる手頃な本がないというのが発端で白柳さんが杉山さんに提案して実現した本とのこと、、、面白く一気に読み終え、、、分かる、とか、易しい、というのは、内容や記述やレイアウトの外見的な馴染みやすさだけではない、それ以上に、どこまで本質を掴めているか、それを想定される読者のために過不足なく表現しているか、によるのだということを、改めて教わるものでした。


要旨と特徴ですが、「発達障害」として一緒くたに扱われている状態を、

・「発達障害」
・「発達凸凹」(杉山さん造語)
・「トラウマ系発達障害」(白柳さん造語)

に分け、それぞれの特徴と対処を開示しています。

それだけかい! と思われるかもですが、それが分かっていることで、「発達障害」と雑にくくられて発信されているたくさんの情報の理解や、それを自分の人生に活かすときの選択が、かくだんに容易になりました。




☆★余談ながら・・★☆

今夜(2022/6/4のドラマ。「フジテレビ」のサイトへ)
『僕の大好きな妻!』・・発達障害の話。今夜スタートですね〜



☆★余禄でした・・★☆

上の本を読み、以前読んで、こちらはぜんぜん簡単でなくちんぷんかんぷんだった、

『心と身体といのちのこと』(神田橋條治医師と白柳直子整体師の対話)

を本棚の奥からひっぱりだし、再読したのですが、、、、びっくり。。これまで山ほど本を読んでなお分からなかった、精神科の病気とその治療の全体像が、これも初めて理解でき、整理されました。

双極性障害について、当事者や家族の方が読んで、理解できて、役に立つ、本を書きたいとずっと思っていましたが、今まで企画が定まらずにいた理由が分かりました。・・双極性障害の本質を、そして双極性障害を発症する、こじれる、長引かせる、原因の種類と特徴を、自分ですっきりとは分かっていなかったのですね。

これでやっと、構想に着手できる段階に入れたと思いました。




2022年6月3日金曜日

「療養」とは、双極性障害が寛解する(だけの)道、と思いきや、、、


ブログの新しい記事をアップする間隔が長くなっています。


その背景のひとつは、ここ半年ほど、きつい症状に苦しめられることも、大きななにかに気づいて寛解への行程が一足飛びに進むこともない、つまり、ここで伝えたいほどの「病気」「療養」がらみの話題がないこと。・・と思っていたのですが。。。


どうも違って、内側で大きな変化が生じており、それに気力を取られて、行動にそそぐ力がなく、一見、穏やかに見えるのではないかと思えてきました。別の面から言えば、大きな変化の渦中でありながらなにが起きているのか自覚していなかったため、記事にすることを思いつかずにいた。


「変化」の主柱は、「母との関係」です。


実際の母との関係に先立ち、記憶や体感の中に残っている母との関係が、、、、なんていうんだろう、、、


成長の過程(胎児期→乳児期→幼児期→学童期→・・)でそうなる理由があって、染み付き、固まった、母との関係。母を真似したり母に教えられたり母に叱られたり母に褒められたり母に拒絶されたりした体験をもととして、内在化し、自覚が薄れたまま在り続けていた、たくさんの「パターン」のようなものに、かすかな違和を覚え、、、、見つめているうちに、自分の日常を自動制御しているたくさんのパターンが明確になり、、そしてそれらに疑問を持ち、いちいちの正当性が揺らぎ始めた感じ。


なんていうか、、、これまで「AならB」の反応で、疑うどころか自覚することもなく進んでいた、認知や反応や行為が、そのいちいちに、非Bの(たくさんの)選択肢が、現実に取り得る(かもしれない)道として、現れてきている感じ。


自分の主たる病は「双極性障害」であり、精神科の受診を初めとする療養の行為は、それを寛解させる目的で行ってきたつもりでしたが、、、、


数年前に、主に父親由来のPTSDの存在に気づき、対処を重ね、それが緩んできたら、それよりも深いところにあった、母親由来の・・・縛り? が浮かんで見えてきて、双極性障害になったことやその遷延化を含む人生の不調への大きな影響に、気づいてきた感じです。


「双極性障害」って、わりとシンプルな病気だと思うのです。

それをこうしてこじらせてきた原因が、少しずつ現れてきている感じ。

あるいはこじらせてきた原因があれこれ姿を現したことで、芯にある「双極性障害」のシンプルさに気づいた感じ。


まとまりのない記事ですみません。


なんか、、、そうそう、PTSDが「進入禁止」でその対処の結果が「禁止解除」だったとすると、今回は、「直進のみ」や「右へ進め」「左へ進め」がたくさんあって、窮屈でしかたないけど混乱はしなかった道から、そうした規制が少ない道に出つつある感じ。


すごく根本的な解決が生じつつあるように思う一方で、、

なにをするにもしないにも選択肢の渦に揉まれて船酔い気分な日々。。

いま自分が薬を飲む理由に「選択肢を減らす」が大きくあります。

てことに気づいたら、これまでも、薬を必要とした気分に「選択肢を減らす」が大きくあったこにも気づきました。

そしてそれなりに長い時間がかかるでしょうが、母縛りを抜け、選択肢の広さにも慣れると、必要な薬の量がかなり減るかなと、思っています。


・・人生の自由度があがる、のかな〜


とても怖く、かつ、とても楽しみです。


2022年4月4日月曜日

年度がわり、春、桜、原稿、祈り・・


 ブログの記事を更新することなく過ぎてしまいまった三月。。


体調は、上下はあれどもいずれも小さく長引かずで、わりといいなと感じてます。

気象の変化が大きく、巻き込まれるようにグルグルしたりしますけど、まあそれはそれで、、、体が本来の自然性を取り戻したのだと、、、考えられなくもないですしね。


双極性障害の再発で精神科の閉鎖病棟に入院した体験をモチーフとした小説の執筆を、にじりにじりと進めています。

心身の安定に寄与する要因としては、少量を飲んでいるバルプロ酸ナトリウムと並んで大いに有効と感じている執筆。

でもそこも薬と同じで、多過ぎれば体調を崩すのが難しいところです。


神田橋條治先生からは、双極性障害である私の(あるいはもっと狭く、バルプロ酸が効く私の)脳の特徴としては、執筆という行為そのものに充実を感じるのではなく、それを世に発表した反応などとして得られる成果(感想やお金、好評や不評、成功や失敗)に、充実を感じるだろうと言われました。(前者は「芸術家」タイプ、後者は「商売人」タイプ、かな)


言われてみると確かにその通りで、好調になった分として増える、自由に使えるエネルギーを、全て注いでいるかのような執筆ですが、その動機、原動力は、いつか得られるかもしれない成果(読者の感想とか、家族の反応、家計の再興など)を速く得たいから、の面が強いです。


でも、、、焦れば空回りするし、、、成果を得られるとしてもまだずっと先なので、、、今日、書けた、書いた、努力した、そのことを、価値あるものとして認めて、自分にオッケーを出し、誰も知らなくとも今日の執筆によって世に生まれた描写部分こそ「成果」だと考えて、喜びや充実を感じるように、自分を仕向けています。


と言いつつも焦って机に向かっては散歩の時間帯を逃す日々の中。

先日、久しぶりに散歩に出たら、桜がきれいでびっくりしました。


それから機会をみつけては見に出ていますが、、、

桜。。


この病気になる前の自分は、桜に限らず「花はきれい」といわば常識として知っており、そう言葉として述べているだけで、「きれい」と実感したことはありませんでした。


でも、病気で苦しい思いをし、自分を見つめ、人の気持ちの複雑さを知り、命の有限さに気づき、そして(薬の誤った処方によって引き起こされていた部分が強いと後で知った)希死の衝動を生き抜いて、数年ぶりの落ち着きを得て迎えた春に見た、青空を背景に咲き誇る桜の花は、命の輝きに満ちて、それを素直に愛でる(多くは年配の女性の)人たちの人生の深さや悲しさや愛しさをも、初めて分かったように思いました。


・・いやいや、なんだか春は、詩的な自分を演じたくなりますね〜😅


ただでさえ寒さや日照の弱さや気圧の急変に体調を崩しがちな冬を、ましてや病や障害とともに生き抜いて、今年も生きて春を迎えたみなさんが、心身の伸びやかな時間を少しでも長く過ごせますように〜🌸🌸🌸


2022年2月20日日曜日

双極性障害(双極症)の私にとっての症状と薬の意義

このところの急な雪、雨、風。

遠くで起きた大きな地震なども含めて、気象が荒れるときは体調も荒れがちです。


それとは関係なく「オフ」にすると落ちる、を繰り返している私。。

・・なぜ楽だったり楽しかったりするはずのオフにばかり落ちるの?


今日はそこから気づいたことを書きます。



双極性障害になり、勤めをやめてから、収入を得る仕事はできていませんが、寛解してからはずっと、病気と寛解の体験を書いていました。再発して精神科閉鎖病棟に入退院してからは、その体験をもとにした小説を書き続けており、それをする日は私にとっての「オン」の日です。


作業の中の「創造」の部分はとても苦労するし、そのために参考文献を読んでは情報の整理を続ける部分は飽きてくるし、パソコンの小さな画面を見つめ続ける目は疲れ、キーボードを叩き続ける腕に肩はこり、、


でも、それらに没頭するオンの日は、嫌いではありません。

というか、心身の健康のためにオンの日を続けている感じです。


しかし、脳にせよ目や腕にせよ、同じ機能を使い続けると、疲労がかさみ、体力も気力も低くなり、進みも質も落ちてしまいます。なんといっても再再発は避けたい(初発は地獄の苦しみと思ってたけど、再発はその100倍は苦しかった。。)


なので、オフを入れるようにしているのですが・・・


なぜオフにすると、落ちるのか。

「溜まっていた疲れが、一気に出てくるのだろう」というのは兼ねてから気づいていたのですが・・


このごろ、なるほどそうか、と思うようになったのが、オフの日は、やりたくないけどやらねばならないことをやる時間があるからではないか、ということなのです。


オンの日は「今日は執筆に集中する」ためにと、それ以外のことを全て投げ出せるのです。でもオフの日は、オンの日々に後回しにしていた、あるいは気持ちが原稿に向かっているために気づいていなかった、宿題的なことが、あれこれ頭に浮かぶ。あるいは急に大きな課題として(針小棒大的に)頭を占める。


・・今日はオフだからなぁ、あれをやった方が良いよな、でも、やりたくない・・


やりたくないけどやったほうがいい。

でもやる気が起きない。

でもやったほうがいい。てかやらなくては。

でもやりたくない。。


・・まあ、やれないのは当然なのです。双極性障害は脳の病気で、脳が中心となって作業する諸々(苦手な対人関係がいい例)への力が少ない。あるいは安定しない。なのに、オンの日は目一杯、脳を働かせていて、その疲労がかさんだあとから、やっととっている、オフなのですから。


(病名の「双極性障害」「躁うつ病」「双極症」「双極性感情障害(気分障害)」などよりも、オリジナル名称「気分気力失調症」「気力失調症」のほうが、実体に合っていると感じています。)


その、「やりたくないけどやったほうがいい、でも・・」の迷いグルグルから落ちてゆく、辛さ。気分悪く耐えがたいそれから逃れたくて、(普段は100mg製剤 1錠 /日の)バルプロ酸ナトリウムを割錠して破片を作り、そのうちの芥子粒ひとつほどを頓服するのです。


血中濃度の変化からの推測でしょうか、バルプロ酸に即効性はない、それは気のせいだ、と以前通っていた先の医師に言われていましたが、そんなことはないですよね。飲んで20分ほどすると、頭の中の堂々巡りの言葉は穏やかになり、体は緩み、眠気もでてきて、眠りに落ちる。

そして、しばらくして目覚めても、もう、体はだるく眠く、なにかやれる状態ではない。


あれ? つまり・・・


今の私の頓服の使い方は、「やらねば」と思っているけどやれる気力体力がなくて「やらない」を選択したいけれど、思いが割り切れないときに、「やれない」体調にしてやらなくて済むようにするために、「薬」でそうしている感じなのです。


そう思って振り返ると、そもそも「症状」からして、本当はやりたくない、力が湧かない対象だけど、やらねば、やったほうがいい、、、というような、、理屈(言葉、アイデア)で無理に体(脳、行動)を従えさせようとしているときに、それをしないですむ理由、言い訳として、体の表現として、創造されているようにも、読めるのです。


つまり、今の私にとって、症状も、薬も、やらねばならない(と考えている)けど(体としては)やりたくないことをやらなくて済むようにしてくれている。


少なくとも薬には(そしてもしかしたら症状にも)逆のパターンもありますよね。気分や気力の安定、力、がないけれど、それらを無理にでもやるために、使う類の。(症状としては、躁や離人に、その例が見出せるのかな)


てなことをつらつら思ううちに、ならばいっそ、頑張ればやれそうなことも(本当はやれないんです。だから寝込んでるんです)「今日はしない!」と決めてしまえば、症状や薬の、その部分に対処するための部分は、要らなくなるのではと思いました。


というアイデア、半ばアイデア止まりだったのですが、、そのあたりを、通院先の先生や、病気情報を交換している友だちと話しているなか、今朝、不調の中で思い出して、試すことができました。


目覚めた布団の中、あることを今日やるかやらぬかに迷う思考の強い流れが続き、気分の混乱と苦痛が悪化し始めたなか、薬を飲むかどうしようかも迷い(飲めば投げ出せて楽にはなるけど、芥子粒量追加でも、終日ぐったりは免れない)、上記のアイデアを思い出して、、、飲んだらそもそもやれない、つまり薬を飲む=やらないってことなんだから、やらないを先に決める! と、してみました。


そうしたら、、、言葉が減り、体が緩み、、そのままうとうと。。起きてからは布団から出て、のろのろと、これが今日の自分に合っているのだろうとまあまあ思えるペースで、ご飯を食べたり本を読んだり、できています。


話がグルグルしてすみません。

つまり、薬による心身の重さという苦労の部分なく、薬を飲んで得たかった効果は得られた、って結果です。


いつもうまく行くとも思いませんけど、とにかく、今日はうまくいった。


そして改めて思ったのが、私にこの病気が生じたこと自体、本当は辞めたかったのだと、極めて嫌になっていたのだと、病気の長い経過の末に分かった、そして本当は初めから分かっていながら気持ちに蓋をしていたと振り返る、当時の勤めを、とめる、やめる、口実として、生じた(と物語れる)ものだろうなということです。


減速すべき状況を無視してアクセルを踏んだら非常用自動ブレーキがかかった。


・・みたいな?


あれ? なんか、いい感じの喩えに、収斂しました〜🐥


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