2023年1月29日日曜日

とりあえずの着地点・・(気づき、軽躁、鬱、、、地平の風景)

 前回の記事の後日譚です。


自分の姿が見えたとの思いをきっかけにして、双極性障害ばかりでない、双極性障害になっていった、それが治らない、ことで象徴される、幼い頃からの人生の向かい風、迷路、、、の全てが、解消する(した)気になっていました。


気分に上ずった感じはない。二十年来の付き合いの病、今も「軽躁状態」はあるけれど、脳内で生じた段階で外の誰に気づかれるでもないうちに自分で気づき、バルプロ酸の微量の増量(頓服)ですぐに治まっている。かみさんに話す気づきの内容、その理屈にも展望にも、矛盾や飛躍はなく、誰と衝突もしていないし、なにかにお金を使ってもいない。


その後に予約のあった精神科クリニックの受診の日、長いつきあいの医師とやっと労(ねぎら)いあえる、長い年月に及ぶこれまでの通院の中でたった二度目の、そしてそれも、前回の、病が寛解し受診を定期から不定期に変えた十五年前のあの時よりなお華々しく、嬉しさを分かちあえる、祭事のような面談を思って、診療室に入りました。


そのときの医師の態度、雰囲気、に、華々しさ、喜び、がまるで感じられず、そのまま、かえって心配の気配を一貫して感じ、面談が終わったことで、、、、混乱に落ちました。


その後の経過を具体的に辿るには単行本一冊の文量を要しそうなのと、まだ内容を、口に出す気分にない、あるいは、その段階に自分が至っていないように感じるので、詳細は省きますが、、


混乱から覚め、「軽躁」だったと識り、はしゃいで報告したばかりの友だちたちに、すぐに訂正と謝りの連絡をし、このブログの当該記事も注記を追加。そのまま劇落ちし、、、


しかし、その、いわばいきなりの激鬱の中で、面談を含む一連の態度の振り返りに端を発する「気づき」が、更に次の気づきを呼び、次々と発展し、、、今回もかみさんがたくさん話しにつきあってくれていたのですが、同じようにかみさんと話していた一昨日の夕方に、とある像がかみさんの口からこぼれ、、、納得のいく、そしてこれは、かみさんも一緒に納得のゆく、結論としての「像」のようなところに、達しました。


すごいことに気づいた! 今度こそ見えた! と思っているうちに、それは、これまでずっと、医師に言われ、周りの人たちに言われ、直近では友だちに同じ言葉で指摘されたことと、気づきました。そしてそこから更に底が抜け、、、気づきを得たからこそ広がった世界に茫然とし、、、やがて底に足が着き、、、というか、足の着く、着いた足を支える、小さくとも確かないくつもの底が、「今回は」あり、、、いちおう、内なる世界の中では、主要な目覚めの、全てが、終わった、終わってなお生きてゆける、、と、感じました。・・それが、昨日未明(夜中?)の、ことでした。


「軽躁だった」と頭を掻いて訂正した前回と似た結末に、再び「本物」スタンプを押して提示しているようで、、、、なんなんですが、、、、そして今回もまた「軽躁」に居るのかもと、あとで醒めるのかもと、自分の今ここの言動ばかりか思考まで、感情や感覚までもが、信頼できなくなってしまうことが、軽躁を繰り返してきた副作用、怖さ、でもあるのですが、、


でもあえて、こうして、晒してみようと思います。そして、改めて、前回の記事に書いた気づきは、やはり、大きな気づきだったと、今は再び思います。訂正と詫びを伝えた友だちたちが温かい反応を返してくれましたが、軽躁の中で突飛なアイデアが湧いたのではない、気づきが大きかったことで舞い上がっていたのだ、と、今は思えます。あるいは軽躁の力を借りて、最後の大山を登ったのだと。あるいは最後の大谷へ飛び込めたのだと。



さて、医師が喜びではなく心配を滲ませたのは、こうして、その先に生じるであろう気づきの展開と、それにともない現れるであろう大きな混乱、を見越してのことだったのかなと、今は思います。


というのも、受診の日から、昨朝までの、気づきや情動の一連の流れを振り返ると、病気に落ちていったときに生じていた出来事とまるで同じことに始まり、それからの年月にあった、寛解や、再発し、絶望し、入院を経て、再びの安定を得た、、、までの全てのきつい道ゆきを、辿り直したと見えるのです。


医師が、これからもまだたくさん困難はある、でもこれまでよりうまく対処できる、といつも言い、今回も、これからもまだたくさん蓋はある、でもこれまでよりうまく対処できる、と言っていたのは、このことなんだなと、思いました。


つまり、、、、自分が、ここに至るには、「双極性障害」という名が医学的にはつけられた、力の強い病の助けを借りての、20年にわたる試行錯誤と苦悩とがわたしには必要だったということで、そして最後の、大きな扉を、生きて開くには、、、いや、開いたからこそ迎える困難を前に、諦めない、立ち続ける、新たな地平を歩み始める、、、だけの体力を、足場を、得るには、、、「死ぬほど苦しかった」と自認していた初発の「100倍は苦しかった」と自認している、、、再発の体験までもが、、、大きな、必須の、筋トレに、なっていたのだなと、、、今は分かります。



・・かみさんと話している別の話題が、病と人生についての今ここにある本質的なテーマとリンクしている、比喩を話している、ように感じることが、こういう、なにか見えない世界に没頭した時空を生きているときは、普段より多く、起きます。


昨夜、夕飯の片付けをしながら、苦しみの末になにかを得る、その「なにか」に、実利がないなら、苦しまないでなにも得ない道でいいのでは、というようなことを、かみさんが言いました。明確な反論ができず悔しい思いをしましたが、、、どうなんでしょ。苦しみの体験から大きな「なにか」を得たとは感じますが、もとから苦しくなんてなければそもそも良かったのかどうかは、、そちらの人生を歩んで比べられるわけもなく、この先もわかりません。


でも、なんとなく、自分はこうした、ものすごく、、、、、


この流れになったとき、いつも「ピーキー」という言葉を、これまで使っていました。「こうした、ものすごくピーキーな人生を歩みたいと、どこかでずっと思っていた気がする」と。これは、左右に険しく深い谷が落ちる高山の稜線を高い緊張とともに登っている、というイメージで使っていたのですが、、、今しらべたら、特定な条件でのみ高い能力を発揮する、主にバイクのエンジンの特性を表す言葉だったようですね。そして後者は、まるで、わたしの、望んではいませんでしたが、かえってそのままの形ですね。


話を戻します。


自分はどこかで、こうした、深い谷を左右に望んだ稜線を登りゆくような人生を、歩みたいと、望んでいた気が、ずっとしていました。


それ自体が既に、今回自覚を得たような、とある状況に根差していの生きづらさの現れであったのだろうとも思いますし、だからこそそれは今回の目覚めで早くも色を薄くもしていますが、、、でも、再発の体験と同じで、ここまでそうした人生を歩いてきたからこそ得た筋力が、やはりあるようにも、思うのです。


その筋力も、その筋力でこれまで得た物やことも、捨てるのではなく、生かせるこの先を、歩んでいきたいなと、歩んで行けたらなと、思います。


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