2023年1月17日火曜日

明けましておめでとーございます。

以下は全文が、「軽躁」のなかで書いたなと、のちに気づいた記事です。

言い訳と解説は次の記事に〜😅


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 ということで今頃になりましたが新年の挨拶です。


新年・・・


書きそびれているうちに、暦年の明けのほかに、もうひとつ、大きな「明け」を、新たな時代を、迎えました。うまく伝えられない自信がありますが😅、、ふたつの「明け」を代表して、個人的な「明け」について書こうと思います。


🐇🐈🐇🐈🐇🐈


自分の不調を象徴する名前は「双極2型障害」で、それが終わりそうである予感を得ていることは、昨秋にも記事にしましたが、数日前の朝に、思いがけずはっきりと、「終わった」と感じました。


そしてそれは、「双極2型障害」という「病」ばかりでない、病に至らせた自分の生きづらさ全体、、、それも、見えていなかったその「基盤」のようなものまで含めての、終わりであることを、・・・理屈ではなく体感として、識りました。


その「生きづらさ全体」の構造が三階建てであることまでは、このごろでは気づいていました。


その図式を、分かりやすいイラストででも表せればいいのですが、、そこまでのPCスキルがなく。素朴に・・


上が表層です。


脳に合わない生き方をしてきた生活習慣病としての双極2型障害

  父から受け続けたトラウマを基礎とした複雑性PTSD

             母との関係を主な源とする愛着障害



(精神科医による誤った診断や態度や治療や指導、、、もこれら三層を縦断して関わっている、みなさんに知らせたい要因なのですが、、、その問題はまた別の機会に)


自分が双極性障害であることの自覚はあり、そこにフォーカスしての治療と養生はすすみ、いったん寛解に至りました。


しかし、日々の生きづらさは以前に比べて格段に改善されたのに、、、、人生が開けてゆかない。。


その中で、すでに気づいてはいた、育った家庭の中での父の言動による今への影響、というものを、振り返ってはいたのですが、、、、、


再びいきづまり、再び回復はしたものの、現実の流れがまるで改善されない。そんななか、今度はその、父の問題、今になって名前を与えるなら、「複雑性PTSD」の問題を中心として、取り組みました。そしてそれらが与えていた現在への悪影響が薄れるに従い、これで卒業かと思っていたのですが、、、、伏流水のように存在を感じてはいた、母とのコミュニケーションの問題、これも今になって名前を与えるなら「愛着障害」の存在が、あらわになってきました。


「双極性障害」も、「複雑性PTSD」も、「愛着障害」も、生きづらさが耐えがたいまでになり、しかたなく源を探し、医師の保護のもと、自分に対峙し続けて初めて、自分ごととして「あった」ことが分かったものであり、、、「胎児の記憶」にまで遡ってみつめる「愛着障害」こそ「ラスボス!」と思ったのですが、、、、


それら三つが影を薄くした、その、クリアーになってきた目に、数日前の朝に不意に見えた、これまでの自分の姿は、「境界性パーソナリティ障害」でした。


えっと、、、、短く書こうとしている都合上、「双極2型障害」「複雑性PTSD」「愛着障害」「境界性パーソナリティー障害」などと「診断名」を使っていますが、、、どれについても、それら用語、医学用語や心理学用語として流通しているそれらが示すところ、では現せない、事態や現象や機構を、自分では見つめています(独自に、ではなく、神田橋條治医師や自分の通い先の医師の考えに触れたうえで、自分なりに解釈して、です)。でもそこまでを詳述すると、ブログ記事レベルの長さでは終わらないので、、、、簡略にするため、粗雑に、、、用語を使っています。(そして「境界性パーソナリティ障害」についても、一般的な見方と根本的に違うのですが、、、それも大きなテーマなので、いまはさておき、です)


話しを戻します。


知識としては、「精神病」圏でもない「神経症」圏でもない、それらの「境界」に位置するように見えもする、でも「よー分からん」人たちを、まとめて「境界性パーソナリティ障害(以下、BPD)」と、今は呼んでいるのというのが、わたしの(おおざっぱな)理解でしたが、、、


誰に言われたこともないですが、前述のように、わたしの最後の幕を明けたのは、自分が「BPD」であった、という、思いがけない気づきでした。


その、「BPD」=「よー分からん人」、という認識。


執筆中の、精神科病院の入院体験をモチーフとした小説でも、「BPD」の患者は登場します。でも、体験として触れた、その診断を受けている人たちの内面が、どーいう感情や思考なのか、源や流れの想像がつかず、、、本で学んでもそれが本当と納得するにも至らず、でした。そのために、表面的な様子は描写していますが、内面や病理についての断定的な描写は避けています。


なのに。。


自分こそがそうであった、という気づきから、双極性障害についての気づき、PTSDについての気づき、愛着障害についての気づき、、、などを分かりやすい島々とする、点在していたたくさんの島々が、・・・つまり、これまで20年間に得てきた洞察が、学んだ知識が、50年ほどの生きづらさの体験が、、、一瞬にして有機的な繋がりを得た、、、感じとなりました。


・・ということだったかなと、振り返って描写はしますが、、、それら認識も、理屈も、せめて感覚としてはある、自分が少なくとも一山は越えたであろうことも、、、どれひとつにせよ、実証するモノはなく、、、あっているのか自信はなく。。。。


次回の受診で医師に訊いてみようと思いながら、かつて医師が自分に勧めた、神田橋條治医師のとある小冊子シリーズの一冊、を再読していたら、、、、、


わたしに起きていたこの流れ、現象、こそが、精神療法が目指すもの、として、述べられていました!!



・・とまあ、新年の挨拶代わりとしては、濃く、分かりづらく、、、自分語りオンリーの記事となりました。


そして。


ここに至れたことを嬉しく思い、ここに至るまでに交流のあった人たちが、ここに至る流れにどう関わっていたかも、急にクリアーになって見え、ブログを読んでくださっている方、これからここを読んでくださる方、みなさんへの、感謝も新たにしています。



てことで、明けました、ありがとーございます。

これからもよろしくお願いします🐈💕


(軽躁によるバブル的な気づきを開陳しているフワフワとした高揚はまるで感じていませんが、もしそうであったことが分かった時は、報告します。逆に、内面的な変化が本物なら、現実の流れが変わってくると思うので、その時もまた、報告したいと思います)

(通い先の医師がわたしに使っている診断名は一つだけです。また、医師の治療の対象としては、表層としての双極性障害が癒えてもなお日々に残った生きづらさが大きすぎていることから、やむなく、より深い層へと、安全を第一にしながら、慎重に、慎重に、降りて行った、あるいは降りてゆくのをハラハラしながら見守っていた、、、という順序です)

(「境界性パーソナリティ障害」より前に「解離」も、自分に起きていたこととしての認識が生じ、そのときも、自分の状態への理解が段を上がったように進みました。今回の展開に至る道筋も、解離のアイデアを用いての工夫、の関与が大きくあります)

(こうした医学用語になじまない、親から与えられ続けた、生き方のお手本、みたいなもの、自覚と卒業、というものも、終盤に近づくに連れて解決すべき課題としての大きさを増してゆきました。そちら側から眺めれば、「学習」をキーワードとして、うえの一連の体験を身近な言葉で記述しな直せるのだろうと思います)


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