2022年10月2日日曜日

うつの波から回復してきた指標・・・好奇心とか欲とか・・

 

行かなかったけれど、友だちが誘ってくれた遊びに行こうかなと、いう気になりました。


行かなかったけれど、漫画を借りに出かけようなかと、いう気になりました。


行けるあては今のところはないけれど、遠くに住む友だちの家に遊びに行きたくなりました。


買える予算も気力も今はまだないけれど、自転車やバイクを欲しくなりました。



全ての行為が億劫に感じ、それを「投げ出していいんだ」と分かるまでが、いつもひと苦労です。


投げ出せず「苦しい中での休息」だったのが、やがて投げさせて「心地よさのある休息」へと変わり、安定を戻しつつもそのまま休みを多めに取り続けていると、こうした、前向きとでもいうのか、「行動への欲」みたいな衝動が、息を吹き返します。


行動を為すまではいかないけれど、うつ状態、低い波、から回復してきた、ひとつの指標です。


このままハイに突入することは、気分としてはわずかにあっても、行為としては、今のわたしにはあまりありません。双極性障害の特徴に慣れたこともありますが、周りで病気を理解してくれている人たちが早めに忠告してくれる(というより、思いやって言葉をかけてくれる)のも、反動を穏やかなものに抑えているように思います。


(ハイのままに動いてはいけない、という意味ではありません。ハイはハイのエネルギーをさっさと消費したほうが、標準の、つまりは楽な、心身のレベルに、早く戻ると思います。そのことはまた別の機会に)


・・と、達人と化したようなことを書きながら、、、今日も無理せず短めにしようと思っていた原稿の改稿作業を、長くやりすぎました。。「調子に乗りやすい」というのも双極タイプの人の特徴だなと、改めて思います。


2022年10月1日土曜日

双極性障害とは学習障害? ・・双極タイプの人は「諦めない人」「懲りない人」

 

「うつ」、、、というほどひどくはない、でも気分と気力の「高い」「普通」「低い」時期のうちの、「低い」時期を迎えている今。


低い時期を迎えると、いつも、そうなるまでに疲れを募らせた、「高い」や「普通」の日々の自分の暮らしぶりを、振り返ります。


そして毎回思うのです。


「こんなに疲れるまで、また頑張っちゃったなぁ・・」


なんど思ったかしれないこの気づき。

もはや「気づき」というのも、語意として合わない。。


そしてふと思ったのです。

「双極性障害」の本質は、「学習障害」なのではないかと。


心身の疲れ、についての学びのなさ、ばかりではありません。

なにかに入れあげて邁進し、挫折しても、また立ち上がってなにかに邁進する。


それは、事業だったり、趣味だったり、恋愛だったり、、、


それら、良くも悪くも、、というか、、結果から振り返ると「良い資質」になることも「悪い資質」になることもありえる、いずれにせよ「学習しなさ」が、気分や気力の波や、人生の大波、という、この病がもたらす多層の困難の、かなり深いところを流れているように、思ったのです。


思いつきのまま、さして吟味せず書いていますが、、、、


そーいえば、神田橋條治医師の初診で、双極性障害の人の人生は、病で沈殿して穏やかになって暮らし続ける、・・「とはならない」、というようなことを、言われました。それを言われて嬉しかったのですが・・・


つまりそれも、パンチを受けてダウンしても、また立ち上がる、立って勝負に戻る、みたいな、、、


諦めない人、懲りない人、つまり、学ばない人、ですよね。


諦めないほうが人生に資することはそのままに、学んだほうが楽になるところは苦手さを自覚して学んで、あるいは(本当の「学習障害」の人の対処がそうであろうように生活を)工夫して。


なるべく「普通」の日々を増やしていきたいと思います。



(などと、オリジナル、を創作して表現することで満足を得るのも、双極性障害のうちのバルプロ酸が効く人たちの特徴、かと思っています)


2022年9月30日金曜日

症状のありがたさ・・双極性障害(双極症)の、うつ状態も、軽躁状態も

 

(ふたつ前の記事でも触れましたが)先日の受診で医師から、病気や、それによって勤めを辞めたことや、発病の遠因であろう育った家庭の環境などについて、プラスの面からばかり捉えなくてもいいのではないかと指摘されました。


おそらく、自分も含めて、自ら望んだのではない苦痛の日々を歩まざるを得ない人たちは、誰のせいにもできない、あるいは誰かのせいにしても報われない、困難を、受け入れられないことでよけいに苦しむ年月を経て、状況への見方の角度を変えることで、少しずつ、受け入れる、、という道を、歩むことが多いのだろうと思います。


その一つの角度が、「良い面を探す」ということ。例えば「病気になったおかげで嫌だった仕事を辞めることにやっと家族の同意を得られた」とか、「苦しみに向き合えたことで生い立ちにあったいわれなき被害に気づけた」とか、、、みなさんもあるかと思います。


わたしもそうやって、プラスの面を考え、納得感を得ることで、苦境を生きざるを得なくなっている自分をなだめてきたのだろうと思います。そして医師が指摘したのは、元は闇ばかり見つめていた自分が、次は明るい面を探して見るようになった、そしてその次は、闇も明るみも、全体を見ると世界が広くなるよね、あるいは評価を外してそのままを見られると地平が広がるよね、・・ということだと思いました。


神田橋條治医師の著書だったと思いますが、精神療法面接について精神分析の視点から書いた部分にあった内容に、面接を重ねる中で患者が語らないことはなにか、に(言葉に出さず、と思いましたが)留意する、というものがありました。なにを語ったか、ではない、なにを語っていないか。振り返るとわたしは、精神科診療室という、この世の中でいちばん安全であるはずの(実際はおうおうにして真逆であったりしますが)箱の中でも、誰彼や、出来事への、非難や苦々しい思いを、苦訴を、、、このところずっと、吐き出さずにいたように思いました。


(追記・・吐き出してはいたけれど、プラスもマイナスも、対象と評価とを、医師が喜んでくれそうな組み合わせを無自覚に選んで、表明していた気がします)


と、、タイトルと真逆のような話から入りましたが。


ここ数日、久しぶりに寝込んでいました。

そしてやっと、自分がとても疲れていたことを認識し、それが命を落とすほどに溜まる前に、ブレーカーを落とすかのように心身を休ませる、「うつ」という症状のありがたさを、改めて思ったのです。


そこまではこれまでも繰り返しありました。症状が自分を「休ませる」、とか、自分になにかを「気づかせる」とか。そのことに感謝を覚えてはいました。


でも今回は、なんだか、うつへの愛おしさ、さらには双極2型障害という病への愛おしさを、うっすらとですが、感じたのです。


話しは回って、その新たな感覚を医師に話したことが、上の、「プラスの面ばかり」云々のコメントにつながったのですが、、、


(「軽躁状態」についても書こうと思いましたが、文が長くなるのでやめます)


症状はとても苦しく、嫌なものです。


それを前提に、でも、とてもありがたい、なにかに代えがたい、人生のギフトであったなと、やっぱり思うのです。


そしてそうやって二元論的に捉えるまでは至った次のステージとして、どんな展望が拓けてくるのか。


・・予想では、いわゆる色眼鏡を外した、知識や解釈を得る前に戻った、幼ない子どものような感覚でも暮らせる日々が、、、、まあきっと、体験することでしか分からない世界なのでしょうね。


なんとなくそれは、リラックスして出来事を楽しめる、今までより、今より、楽な世界になるのかなと、、、想像しておきます。


2022年9月29日木曜日

わたしのバルプロ酸の使い方・・そして『[新版]精神科治療の覚書』(中井久夫)


自分はいま、バルプロ酸ナトリウム100mgSR錠(徐放性製剤。コーティングに守られたまま胃を通過してから腸の中でゆっくり溶ける)を、夜に1錠飲むのを基本の服薬パターンとしています。


そして不調を感じたときは、硬いそれをキッチンバサミで細かく割って、けし粒くらいの大きさにしたものを1粒、頓服しています。(そうしている背景は、こちらの過去記事をご覧ください)


割ったそれは、飲むと二十分ほどで頭の中の言葉の迫力が鎮まり、眠気も出て、なかなかよろしいのですが、、、効き目が出るのも消えるのも速く、普段からある耳鳴りが強くなったり、不調が深いときは追加で飲んでいるうちに胃が荒れてしまうなどの、不都合も生じます。


おとといから頓服を繰り返していましたが、今朝はけし粒では足りなく感じた上に、昨日に続いてゆっくり眠りたかったので、久しぶりに、1錠をそのまま、追加で飲んでみました。


結果は、、、期待していた眠りの時間は、それほど長く保てなかったけれど(昨日終日眠ってましたしね)、なんとなくぼんやり、の感じが、長く続いていて、いい感じです〜


ちょっと少ない量の頓服、という、バルプロ酸の使い方としては特殊な、自分で考え出した小技に、こだわり過ぎていたかな〜


いま読んでいる、中井久夫先生の本に、精神科における「服薬」(とその指導)という行為に関する治療的な側面からの注意が、かなりのページ数を割いて書かれていました。自分がこれまで受けてきたいろいろな先生の、服薬(させる)行為について、納得も、不満も、安心も、不安も、そうなる背景がきちんと言葉で説明されていました。


こうした、仕事をする上での基本ともいえる事柄が、成書としてとうに出版されている業界なのに、思い込みで治療をし、治せないどころか悪化させておきながら、国が決めた料金を請求することの特権性すら感じていない医者がいることに、、、


まあそういう人のほうが多いのは、きっとどの業界でも同じですよね。そして自分も立場は違えども、そういう面もありますね。



1982年に出版された本の、2014年発刊の新版です。

中井久夫医師の文も神田橋條治医師の文も温かみを強く感じますが、そのタイプは違ます。


2022年9月28日水曜日

気ままに気楽に・・

 

ひと月ぶりの更新です。



今日は終日寝ていました。

思い返すと、二月くらいからの、受身的にも能動的にも大波小波を越えてきた疲れが、脳を含む身体に、たっぷり溜まっていたように感じます。


疲れを感じること。

感じて休むこと。

それらが苦手というのは、双極タイプの人(脳の過労が双極性障害として現れる人)たちの特徴の一つだろうと思います。ダウンして、初めて寝込んで、でも少しも休まっている気がせず、ぐるぐるした思いが高速で巡る中で、「もうこのままずっと治らない、楽にならない」と思い、真っ暗になって、、、、、、、

ふと、「あれ? 疲れていたのか〜!」と気づく。


そのパターンは病気になったころも今もおおむね同じです。でも、落ちてから浮かび上がるまでの期間が、当初は年単位だったのが、このごろは日単位、短い時は数時間、、て感じになっているのが、進歩です。



さてタイトルにした「気ままに気楽に」ですが、これは病気や養生のことではなく、このブログについて思ったこと。


昨日の通院でクリニックの先生に、病気になったことやそれに関連もする色々がうまくいかなかった過去について、「「良い体験だった」との見方、ばかりしなくてもいいのでは」という指摘を受けました。


このブログでも、以前のブログ『あ、ひらおよぎ』でも、たとえ苦しさを吐露した記事においても、結論としては「病気は良い体験」とか、「症状はありがたい」とかの、ネガティブを良い面から捉え直す視点を、主に書いてきた気がします。


でもそれは、暮らしの中にいろいろな喜怒哀楽がある、当たり前の人生を生きている人が、SNSではハッピーな部分を切り取って、写真や記事をアップしているのと、同じだなと思ったのです。


あるいは逆に、病のブログだと、辛い思いばかりを切り取って書いていたり。


それがダメとか、そういうSNSや発信者がきらい、ということではぜんぜんありません。でも自分はそろそろ、そうではない、もっとフラットな、、、いや、、、脚「色」のない、ものを、書いてみようかなと、思ったのです。


ってぜんぜん「気ままに気楽に」ではない記事になりつつありますが(汗)


もともと『あ、ひらおよぎ』とは違った、内容に統一感のない、無責任な『遠鳴き』を書き散らそうと思って始めたこのブログ。その出発点に戻る、というのかな。


まあなんか、今はそんな気分です。

また気が変わったら、別の流れになろうかと思います🐱


2022年8月31日水曜日

起こることのタイムリーさに驚いています。・・双極性障害の治癒の過程で起こること・・

 いろいろありすぎて、どれも記事にはうってつけと思うのに、腰を据えて書く心身のゆとりが得られずいます。


いや〜、、、双極性障害の発症に端を発する「「修行」と捉えねばやってらんねー!」の長い年月が、、、そろそろ終わる? せめて超長山脈アップダウン縦走マラソンは終えてあとはなだらかな下りか? と思った途端、、、


今までもそーいうことの繰り返しできたので、こーなることは予想はしていたのですが、内なる変化とその完了を待っていたかのように現れる、外の、現実の、身の回りの世界の、なんていうか、、、「座学のあとは実習だよ!」 的な出来事の、現れの、恐るべきタイムリーさよ!


しかし、、、ちょびっとずつにして欲しいのに、今回はかなーり、連打でした。


でも不思議とダウンしないんですよね〜


打たれるのは嫌です。が、考え方や感じ方に変化があっただけで、リアルな人生が変わらないのは、もっと嫌かな。「打たれる」、、っていうのは違うか。・・・穏やかに暮らしたいけど、穏やかばかりでない、「充実」の日々も、また生きてみたい。その一歩目の背を押される出来事があれこれ続いた、、のかな。


このごろ、似た境遇から似た苦難を生きてきた友だちと、「苦しんできて良かったね」、という話を、よくします。


苦しんで良かったはずはないのだけど、過ぎてみると、それらなくして自分は、自分の人生は、開花への道へと筋を変えたと感じる、今の心境や状況に、至らなかったと思うのです。あるいはそういう不確かな未来像をひきあいにださずとも、今日を、今を、自分はこうした時間を持ちたかったのだとの手応えをもって生きる、幸せと感謝の体感を感じられる瞬間を生きられることは、、、、、やっぱり、なかっただろうと思うのです。


特別に素晴らしい状況でも人生でもありません。相変わらず症状はあり、無職無収入で、問題も懸念も満載。修行という苦しみの末に脱出できた暁として空想する垂涎の姿は、少なくともこの国で、ふつーに育った人が、ふつーに生きている、そんなありよう、なのだろうと思います。


でも、一般的に、修行の果てにありたい姿として人々が望むのは、案外そーいう姿なのではないかと思うのです。


そうそう、初発の症状が治まり、服薬も定期通院も終えたころ、「下山」、という言葉を、自分の状況にあててみたことがありました。


人里離れた山奥で、人からも情報からも離れて行うのが「修行」なら、済んだら「下山」して、普通の暮らしの中で、自分の人生に、そしてならば、他の人々の人生にも、学びを活かすことで初めて「修行」に意味がもたらされ、その苦しみの代償を得られる、穴埋めされる、のだろうと思うのです。


むむむ? なんか、書きはじめの趣旨とずれた〜


・・・まあ、、、いいか☺️


2022年8月16日火曜日

「する」ができなかったのではない、「しない」ができなかった。・・双極性障害の中での不調・・

 

タイトルのみを書いたまま、更新していないこと二ヶ月弱。。。


いろいろありました。

革命的!という、気づきや出来事が多かったです。


前の記事で予告した内容もさらに深化。このタイトルで書くつもりだったこともあわせて、近いうちに改めて書きたいと思います。(と書いておいていつになるやら〜)


まだまだ暑いし雨も多いけれど、早朝の風に秋の気配を感じました〜


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