「うつ」、、、というほどひどくはない、でも気分と気力の「高い」「普通」「低い」時期のうちの、「低い」時期を迎えている今。
低い時期を迎えると、いつも、そうなるまでに疲れを募らせた、「高い」や「普通」の日々の自分の暮らしぶりを、振り返ります。
そして毎回思うのです。
「こんなに疲れるまで、また頑張っちゃったなぁ・・」
なんど思ったかしれないこの気づき。
もはや「気づき」というのも、語意として合わない。。
そしてふと思ったのです。
「双極性障害」の本質は、「学習障害」なのではないかと。
心身の疲れ、についての学びのなさ、ばかりではありません。
なにかに入れあげて邁進し、挫折しても、また立ち上がってなにかに邁進する。
それは、事業だったり、趣味だったり、恋愛だったり、、、
それら、良くも悪くも、、というか、、結果から振り返ると「良い資質」になることも「悪い資質」になることもありえる、いずれにせよ「学習しなさ」が、気分や気力の波や、人生の大波、という、この病がもたらす多層の困難の、かなり深いところを流れているように、思ったのです。
思いつきのまま、さして吟味せず書いていますが、、、、
そーいえば、神田橋條治医師の初診で、双極性障害の人の人生は、病で沈殿して穏やかになって暮らし続ける、・・「とはならない」、というようなことを、言われました。それを言われて嬉しかったのですが・・・
つまりそれも、パンチを受けてダウンしても、また立ち上がる、立って勝負に戻る、みたいな、、、
諦めない人、懲りない人、つまり、学ばない人、ですよね。
諦めないほうが人生に資することはそのままに、学んだほうが楽になるところは苦手さを自覚して学んで、あるいは(本当の「学習障害」の人の対処がそうであろうように生活を)工夫して。
なるべく「普通」の日々を増やしていきたいと思います。
(などと、オリジナル、を創作して表現することで満足を得るのも、双極性障害のうちのバルプロ酸が効く人たちの特徴、かと思っています)
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