精神科閉鎖病棟の入院を描いた小説を書いています。その中で、精神保健福祉士から「精神障害者」が使える福祉制度の説明を受けるシーンがあるのですが、制度も、法律用語も、果ては「障害」とはなにかという基本的な概念も、頭の中で整理がつかず、、、、関連する本を乱読していました。
そんな折に、たまたまジャケットに惹かれて手にした本が、こちらでした。
『わたしが人間であるために 〜障害者の公民権運動を闘った「私たち」の物語』
ジュディス・ヒューマン(著)、クリステン・ジョイナー(著)、曽田夏記(訳)
アメリカ在住の、ポリオの罹患に端を発する身体障害がある女性の、回想録です。
自分が「差別」されているという自覚もなく、差別している社会の側にもその自覚のない中、やがてそれに気づき、「人間」として扱われるための法律の制定やその執行に、初めは市民の側から、やがては政府や国際組織の側からもかかわってゆく、半生の壮大な自叙伝。
障害者が一般社会から除外されてきた世界や日本の歴史は、断片的に知っていました。
また、今の日本で、障害者の暮らしを支える制度が、十分とは言えずともたくさんあることも、知っていました。
そしてそれらを繋ぐ年月にたくさんの人の(当事者、非当事者問わず)大変な努力があったであろうことも想像していなかったわけではないですが、こうして実際に起きていたことを知って、改めて、今のような世の中に(それがまだ全然、理想から遠いものであるにせよ)なれたことの、ただ、全員が時の流れに身を任せれば安らかにここに至ったのではないということを、、、再認識しました。
訳者のあとがきに、こんなフレーズがありました。
「「私たちのストーリーを語ることによって、人びとは私たちの視点で物事を見られるようになっていった」(…)とジュディが言うとおりの意義が、本書にはあると思う。」
「障害者の公民権運動を闘」う中で「私たち」について語ったことが、いわゆる健常者たちの思いを、世界を、変えてゆく。そしてこの本も同じ「意義」を果たしている。
自分が書いている小説が「健常者」に読まれたときにどう作用するのか。一つの明るい希望が、ここに書かれていたように、思いました。
アメリカでの(つまりは世界の)近年の精神医学の流れが(一つの視点からですが)分かる、以前記事にした『なりすまし』(⇦リンクになっています)とあわせて、精神障害の当事者としての自分が置かれた社会の中での位置が整理できた、力のある本でした。
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