今年はこれまでになく体調が安定している、と思える一方で、色々なことができていません。
今の自分の心身には重すぎるからできないでいるのに、できないことで自分を「だめ」と感じてもいる自分。。
健康で元気だった頃の「できる」自分を基準に、現状を評価しているから、「できない」と捉えて苦しいのかな、、、と思ったのですが、、、
それもあるだろうと思いつつ、いやもしかしたら、と思い返す「見方」が、より本質をついているのかなと、感じてきてもいます。
それは、今年は、
「やらない」を「やれている」
のではないか、ということ。
★眼科に健診に行かなくちゃ、と思っていながら、行けない。
★運動しなくちゃ、と毎日思うのに、行けない。
★実家に顔を出さなくちゃと思うのに、行けない。
★家の周りをきれいにしなくちゃと思うのに、できない。
そのほかにも色々ある、でもどこか似た、「やれない」まま過ごしていること。
それらはみな、「やりたいこと」ではなく、「やるべき」こと、、、もっと深く潜って考えると、育った家庭の中で親がわたしに、あるいは親が自身に、「良かれと思って強いてきた選択や行為」のようにも、このごろは思うのです。
ただ、、神田橋條治医師が電話診療でわたしに言ったことですが、人はなにか行為ができること、「can」が増えることが、嬉しくもあるので、、、
わたしは、(本当はやらなくてもよいのに)やるべき(と刷り込まれていた)ことをやらないことが、できるようになってきている。
なんか、理屈を捏ねくり回すことが好きなわたしらしい解釈ではあるのですが、、、これだと「can」ですよね。
迷いながらも選択としてかしかたなくか続いている、「やらない」が増える日々。
「やるべき」ことばかりにエネルギーをとられて水すらやっていなかった「やりたい」の芽が、ちょびっとずつ伸びてくるかもと、、、
それがこの物語の、最新の予感です。
0 件のコメント:
コメントを投稿