双極性障害の当事者としての諸々の体験と、治療や養生についての知識。
それらが増える一方で、自分オリジナルの、この病の見方や養生の方法を見出せないかという欲が、(下に紹介する、ともに双極性障害の当事者でもある作者の本がきっかけにもなり)わたしにはあります。
昨夜ふと、これは少なくとも「言い回し」としてはオリジナルなのではないか😍、ということを、思いつきました。
それは、双極性障害のうつ症状の、本人にとっての意味・意義のひとつは、行動を変えさせることで、自分に適していない文化を取り入れて生きてきたことに、気づかせる、、という見方です。
これまで、うつ症状について、どんなときにそうなるかを考えたり、そうなったときの体感を感じ、あるいは体感にぴったりとした言葉を得ることで、気づいていなかった感情に気づく、、、というような、、、わりと、精神療法・心理療法的な、意味・意義は、気づいて、自覚的に活用もしていました。
それから、「なんとなく嫌」とか「疲れる」とかの感情や体感が起きていたのに、無視を続けていた自分に、「そっちへ進み続けてはいかん!」と、停止や方向転換への強制的な力として、症状は機能しているとは、思っていました。
その上で、今回の不調で新たに思ったのは、不調で動けなくなった、できなくなった、ことのほぼ全てが、実はやらなくてもいいこと、やる優先順位が、自分にとってはほんとうは高くはないこと、だと感じたのです。
病が始まった十八年(?)ほど前を思い返してみても、もっとも力がでず、でももっとも出そうと頑張り、その押し合いへし合いの中で恐ろしいほどに苦しんでいたのは、当時勤めていた会社に、出社する、ということでした。
出社できなくなったことで、出社してテンション高く働いて稼いで、、の流れの中で目を瞑ってきていた、自分の、その仕事を続ける上での自信のなさや、やる気のなさ、強い疲労、、、などに、初めて気づいていった。そして一度しかない自分の人生をなにに使いたいか、はじめて本気で考え、軌道修正を果たした。時間もエネルギーも最優先して注いでいた先の「会社」あるいは当時の「仕事」が、行けない体調になったことで初めて、自分が人生をかけるに値するものではないと、気づいた。(かなり単純化して書いていますが)
今回の不調でできなくなったことは、もっとずっと、自分の身の中心部分にまで染み込んでいた「教え」たちでした。それらのひとつひとつは、「やらなくていい」とか、ましてや「やるべきではない」、ということではないけれど、優先順位上位のものとして拘り続けるほどのものではない。それが果たせないことで人生を不幸せにするようなことでもない。そしてそれらに拘泥し続けてきたことで、人生が歪んでいた。
できなくなって何ヶ月も経って、次第に、それらって、要らない刷り込みじゃなかったかと、思ってきたという流れは、これまでの記事で書いた通りです。
そしてこの一連を振り返ったとき、これは、行動を変えることで初めて自身の内なる言葉、内なる文化に、気づいたという、行動療法の体験だったのではと、思ったのです。(行動療法、の意味を、知っている訳ではないけれど、きっとこういうことだと思うのです)
その主体、指導者みたいなものが、一般的には「症状」と呼ばれ、それを消そうと、当事者も医療者も奮闘努力することが、病気に対して「前向き」、、、みたいに思われているのだろうなと、、、自分の体験を振り返りつつ、思いました。
まあ口でいうのは簡単ですが、、、症状を信頼するのは難しいことでもありますよね。これまで信じてきた価値観をひっくり返すことでもありますから。
またしても整理し切れていない気づきを、そのままごちゃごちゃと書きました。
症状の叡智、みたなあれこれのうちのひとつについての、新たな見方を、表現を、クリニックの医師の指導や見守りや誘導が作った流れの中でとはいえ、自分で得られたことが、、、なんだか嬉しいです🐱
(坂口恭平さんの、躁うつ関係の、読んだもののうちいくつか。真ん中の本は神田橋條治医師の「語録」がたくさんでてきます。坂口さんは生き方がすでに躁うつ的でユニークで、参考になります。)
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