久しぶりに朝から執筆に励めました。
わたしにとっての双極性障害という病は、人生の流れが、自分が行きたい方向から外れていることを強烈に警告する、「サイン」(「症状」も、英語では「サイン」ともいうのかな)でした。
しかし、どこがそうなのか分からない、でも、それがある気がして、そこに向かっていないからこそ病という強制ブレーキがかかっていると思える、人生の目標。生きている意味。それを果たした、あるいは、果たそうと努力できたなと思えることで、いつか納得して生を閉じられると思える、生き方。
病や症状を敵視し消そうとするだけの姿勢から、病を信頼し、症状の声に耳を傾け、軌道修正・進路指示の指標として尊重する姿勢に移っていったことで、やがて、やりたいことが分かり、同時に、病も終わりました。
やりたいことは、(手始め&具体的な形としては)双極性障害の体験を、文にする、ということでした。
それを九年続け、仕上がらなくて諦め、絶望して死のうとし、でも死ねず、精神科病院に入院し、退院し、そして思いがけないことに、再びそれをやっています。
神田橋條治医師の最新著書『「心身養生のコツ」補講51〜104』の終わり、「第104講 草間彌生さんに思う」が、とても心に残りました。
草間さんが「水玉」に、神田橋医師が「自由連想」に、出会ったことが、「ハチャメチャ」だった人生を統合し、納得のある流れを作った、というような内容。
わたしのそれが、双極性障害に関する作文だったと、改めて感じ、出会えた僥倖を思いました。
やりたくてやっているからこそなのか、やりすぎて疲れて体調を崩してばかりだけど、復活したらまず始めること、始めたいことであり、これさえできていれば気持ちが安定すること。
薬がごく少ない量で済んでいる大きな理由のひとつが、この、執筆をやれている毎日というところにあることは、間違いありません。
体調も、家計も、問題山積だけど、書く時間が持てる日々が続くことを願って、信じて。いつか出版され、読んでくださった方の感想が聞ける、読める、日を夢見て。
にじりにじりと進んでいきたいと思います。
(神田橋條治医師の「コツ」シリーズのうち、「心身養生のコツ」として3冊目の本です)
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