夢を意識し、振り返り、味わい、意味やメッセージを考えたりしていると、それらを持っているように感じる夢が増えていくことを、繰り返し経験してきました。
今朝(昨日だったかな?)の夢。
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(前回の記事に書いた)上司、それから、苦手意識が強い同僚や部下も一緒に、長細いテーブルを囲み、会食をしている。
向かいに坐った上司が、何事か(朝には覚えていたのだけど、、忘れた)でそこに並ぶ誰か(同左)を怒り出したが、私は、穏やかな気落ちで、異論を述べた。
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前回の記事に書いた夢では、初めて上司に怒られましたが、今日は初めて、上司と食事をし、上司に異論を述べました。
異論を述べたこと自体、驚きの展開でしたが、述べている胸中が穏やかだったのが、更に意外で印象深く感じました。
そして(おそらくは上司の怒りの向け先だった)苦手な同僚が夢に出てきたのは、覚えている限りでは2度目。その人と共通の行為をしたのも、その人の感情を感じたのも、夢の中では初めてのように思います。
異論の表明。行為の共有。察し。会食。
いずれも意味やメッセージをあれこれ含んでいそうですね🎁
今日は精神科病院への入院体験記の執筆作業を長くやり、時間はとれていませんが、あとでゆっくり向き合い、考えて、・・いや(「プロセスワーク」のように)じゃれて遊んで、みようと思います。
そうそう、神田橋條治先生の、診療における夢の取り扱いは、変遷を経て、内容よりも患者が今ここでそれを話題にしていることの意味に、焦点を持ってきているようです。そして、夢も、現実(と思って見ている各々)の世界も、さして変わらんじゃないか、という考えのようです。(そのあたり、『治療のこころ』で読んだと思います。あとで見つけたら、書誌情報を追加します)
多彩になってきた夢たちの狭間、その、夢と現実との差のなさを実感する「現実の世界」の出来事を、先日味わいました。
それはまた後日、記したいと思います。
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