精神科クリニックの面談では、前回の面談からの日々の中で印象に残っている出来事や気づきを医師にまとめて伝え、それから対話をする、という流れが定着しています。
直近の面談では、まとめて伝えた内容に、まとまりはなく、、、自分がなにを感じているのか、なにが課題なのか、ぼんやりとしたままで、、、まあ、これはこれで、これまでもよくある通り、医師が選んで返した流れから、対話の方向は決まるだろうと、それが自分の今の主たる課題なのだろうと、信じて任せたつもりでいました。
ところが医師の返事は、伝えた内容をベースとして「今日はなにを話題にしたいか」、問うものでした。
「ええと、・・・」
話題にしたいこと、と言われていながら、伝えた内容とも医師の問いとも別のことが頭に浮かび、その、思考に方向付けられた道とは関係なく体から滲み上がったような、、なんていうか、、、体の叡智みたいなものへの信頼を共有する場にもなっているため、浮かぶに任せてそれを口にしてみました。
あとで振り返ると、こういうときに口を出るのは、自分で思ってもいなかったことや、ぼんやりとは感じながら形にまではなっていなかったもの、そしていずれにせよ、今の自分の、あるいはこれからしばらくの自分の、軸となるような、気づきや予感です。あるいはこのところの自分の流れを止めていた、、、ことが口に出して初めて確かになる、、・・いらぬ堰、律速段階、ボトルネック、のような、、、なんていうんだろう、、、長年の思い込み。知らず識らずのうちに思い込まされていたなにか。
今回は、ある前向きな「予感」を、口にしていました。
それが医師に明言としてではないながら肯定され、予感の確からしさを増す支えを得て、場の体温を上げて面談が終わりかけたとき、ふと生活の中で続いている具体的な滞りが思い浮かび、滞らせている原因として気づきかけていたばかりの気分について、浅い層から深い層まで、整理しながら口にしました。
それを聞いた医師が言ったのは、、、そこへと進めないでいる理由となっている、まさにその時間を、、、
「楽しめるといいですね」
「・・・ええっ!?」(⇦意外すぎてぽかんとし、おそらく声に出ててはいなかった、わたしの心の声)
ええと、、、それが嫌だからこそ、進めない、と気持ちを説明したばかりなのですが、、、
えええ!?!? と思いながら、次第に、ああ、確かに!と、思いました。
他にもたくさん、気持ちを動かし、あるいは鎮める、言動をもらった、実りの多かった面談だったのですが、あとで胸中で発酵したなかから浮き出たのは、その、「今を楽しむ」ということでした。
やりたくてやっていながら苦行ともなっている、原稿執筆。
気力体力も時間もそこにかけたいがために、足を引っ張る邪魔なことのようにすら扱って我慢し、あるいは先述べにしてきた、その他のたくさんのこと。
でも思えば、全て、自分の今、つまり今ここにしかない自分の人生の、かけがえのない一瞬として、味わうこともできるのです。
思うに、自分が憧憬と尊敬をもって眺める、充実した人生を送っているように見える知り合いたちは、一般的な言葉でいえば、「仕事も生活も」楽しんでいます。
一方のわたしは、「仕事」を象徴とする「価値」のようなものを、「意味」や「意義」のようなものを、、、、望む形のそれを自分は築いてこなかったことに気づいて病気に落ち、ゼロから創り直しているつもりであることが、強く背中を押し、、、、
双極タイプの生き方として大切な、遊びや、体験のバリエーションみたいなものを、、、切り捨ててきた。
・・・となんか、、、今日も執筆関連の作業をしていたせいで、、、物語り脳になっていますが、、、
今を楽しむ
繰り返し忘れ、思い出してハッとして、でもなかなかそうできない、できても続かない、、、
でも、おそらく、少しずつは、そうなれてきている、生き方。
まずはやりたいことの筆頭である「執筆」を楽しむことから初めて、生活のあちこちへと、広げてみたいと、思います。
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